Furusawa Keisuke's blog

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書評『保守革命とモダニズム』

本ブログではこれまで、右翼と左翼の違いについて何度か書いたことがある。

簡単に言えば、右翼は過去にあった(とされる)ユートピア的な共同体を憧憬する立場であり、左翼は未来に誕生するユートピア社会に向けて現実の社会を変革していく立場のことである。

右翼は、過去を憧憬するがゆえに、近代の産物であるテクノロジーに対しては、当然、批判的になるはずである。

が。

意外にも、ドイツのナチスは、テクノロジーが大好きだったのだ。

たとえばヒトラーは、当時最先端の技術であったラジオ放送や飛行機などをふんだんに活用しながら、選挙活動を展開した。ヒトラーを乗せた車がアウトバーンを颯爽と走るシーンは、記録映画『意志の勝利』にも登場する。

ナチスは、偏狭な民族主義を掲げた政党であるから、右翼か左翼かと問われれば当然、右翼に分類される、と考えるのが自然だろう。

右翼なのに、テクノロジー大好き。さて、この矛盾を、いったいどう解くか。

本日ご紹介する『保守革命モダニズム ワイマール・第三帝国のテクノロジー・文化・政治』岩波書店は、この問題に正面から向き合った書籍である。

 

著者であるアメリカの歴史学者、ジェフリー・ハーフは、カール・シュミットオスヴァルト・シュペングラーエルンスト・ユンガー、そしてマルティン・ハイデガーなど、一般に「保守革命」(Konservative Revolution)の思想家とされる当時のドイツの知識人たちを取り上げ、彼らとテクノロジーの関係について考察していく。

本著は、かなり専門的な内容で文体も硬質なため、僕のような一般読者にとっては、正直、読むのにかなり骨が折れる(;^ω^)

率直に言って内容を十分に理解できたとは到底言いがたいのだが(w)、 それでも丹念に著者の文章をたどっていくと、どうやら当時のドイツではテクノロジーは文明ではなく文化と見なされていたらしいことが分かってくる。

「ハァ? テクノロジーが、文化? どういうこと??」

と思われるかもしれないが、彼ら保守革命の思想家たちにとっては、テクノロジーとはただの技術ではなく、もっとなにか、民族の魂を体現するもの、言うなれば詩や芸術と同じものであるらしいのだ。

このような特異なテクノロジー観を有していたからこそ、彼らはモダニズム(理性、自由主義、資本主義など)を拒絶する一方、テクノロジーだけは、むしろこれを礼賛したのである。

 

本著で語られるのはドイツの話だが、同じことは元祖ファシズム国家・イタリアにも言えそうだ。

イタリアン・ファシズムを形成した潮流のひとつに、「未来派」(Futurismo)という芸術運動が挙げられる。この未来派の芸術家たちもまた、テクノロジーが大好きであった。

だがこれを、「未来派はテクノロジーを肯定した」と言うだけでは、まだ足りない。彼らはテクノロジーを単に肯定しただけでなく、そこにを見出した、というのがポイントだ。

ここからも同様に、テクノロジーはただの技術ではなく、文化と見なされていたことが分かるのである。

 

左翼と右翼の違いについてはいろいろな説明の仕方があろうが、そのひとつに、左翼は「正しさ」を求める一方、右翼は「美しさ」を求める、というのがある。

ナチスはじめドイツの右翼たちにとって、テクノロジーはまさに「美」の対象だった、ということなのかもしれない。

 

保守革命とモダニズム―ワイマール・第三帝国のテクノロジー・文化・政治 (SELECTION21)

保守革命とモダニズム―ワイマール・第三帝国のテクノロジー・文化・政治 (SELECTION21)

 

 

この本もオススメ! BOOK GUIDE

・『日本とドイツ 二つの全体主義 「戦前思想」を書く』(光文社)

本ブログでもおなじみの哲学者・仲正昌樹さんによる、戦前の日本とドイツを比較した著作。

さすがドイツ・ロマン派を専門とする仲正さんらしく、戦前ドイツの思想について実にコンパクトに解説されており、勉強になります。