Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

2018年5月のまとめ

気候

……暑い。

最近よく周りに提案しているのだが、これからは5月を、もはや「初夏」の「初」を取っ払って、ふつうに「夏」と呼んではどうか。日本は四季ではなく、二季の国となったのである。

とはいっても、そこが最近の気候のヤヤコシイところ。30度越えの真夏日があったかと思えば一転、まるで3月に逆戻りしたかのような肌寒い日もあるのだ。いかんいかん、これでは風邪を引いてしまう(くしゅん!)

それでもまぁ、夜になれば涼しい風が入ってくるから、やはり5月は良いものである。だいたい夏のなにが嫌って、あのジメジメとした熱帯夜が嫌なのだ。昼暑くても、夜涼しいだけで、もう全然違う。

いっそ一年中5月であればいいのに、といつも思うが、そうはいかぬのが四季の移ろいというものだ。

 

元号

我らが平成も、残すところあと1年を切った。

ネット上で「これから先の○月×日はすべて平成最後」という書き込みがあり、あぁ、言われてみればその通りだなぁ、と妙に納得してしまったものだ――2000年に「20世紀最後の○○」というキャッチフレーズが流行ったのを思い出す。

さて、こうなると気になるのが新元号だ。

報道によると、新元号の公表は来年の春、改元1ヶ月前となるらしい。

 

www.nikkei.com

遅い。

あまりに遅すぎて、怒りを通り越して失笑すらしてしまうほどだ。

元号の公表が遅い理由は、驚くなかれ、「あんまり早いと盛り上がらなくなるから」なのだという。あまりに国民を愚弄している。

いったい政府はSE(システム・エンジニア)の苦労をなんだと思っているのか?

僕は現在、情報産業の末端で働いているから、彼らの苦労は分かるつもりだ。このままでは彼らは、新年度が始まると同時に徹夜で駆り出される羽目になる。そういう負担を国民にかけさせないための、譲位――いわゆる「生前退位」――ではなかったのか。

改元にともなうドタバタを回避する策は、実はある。この際元号などやめて西暦にしてしまうことだ。現時点で企業のデータベースなどを西暦に転換してしまえば、改元で混乱することもないし、今後も同種の混乱を回避できる。

皮肉な話だ。「盛り上がり」云々にこだわる人間たちのせいで、かえって煩わしい元号への嫌悪感が広まり、西暦への移行が進むものと予想されるのである。

伝統は、革新勢力によってではなく、意外にも保守を自称する勢力のせいで失われていくものだということが、今回の改元騒動からよくわかる。

 

将棋 その1

高校生プロ棋士藤井聡太さんの快進撃がとどまるところを知らない。

ついこの間六段に昇段したばかりだというのに、あっという間に七段へと駆け上ってしてしまった。

 

www.shogi.or.jp

これまで、七段昇段の最年少記録を持っていたのは、かの「ひふみん」こと加藤一二三(ひふみ)九段であった。その加藤九段が17歳3ヶ月のときに果たした七段昇段を、藤井七段はそれより18ヶ月も早い15歳9ヶ月で達成してしまったのである。「神童」という言葉はまさしく彼のためにあると言えよう。

さぁ、お次はいよいよ八段である。もし藤井七段が今年中に竜王のタイトルを獲得すれば、八段昇段となる。竜王になれなくても、順位戦A級に昇級すれば八段である。まぁ藤井七段のことだから、ここ二三年のうちにあっさりと達成してしまうことだろう。

「藤井八段」の誕生が、今から待ち遠しい。

 

将棋 その2

さて、将棋界が「藤井七段」の誕生に沸いているさなか、行われていたのがドワンゴ主催のタイトル戦・叡王戦(えいおうせん)である。

今年からタイトル戦に昇格した叡王戦。栄えある叡王の座に輝いたのは、意外にも、と言っては失礼だが(w)、高見泰地六段であった。

高見六段は、タイトル初挑戦にして見事、序列3位のタイトルという栄冠を勝ち取ることに成功したのである。

おめでとう。

 

www.huffingtonpost.jp

最近の将棋界に疎い方からは「叡王戦? そんなタイトル戦あったっけ?」と言われてしまいそうだ。

そういう方のために説明しておくと、叡王戦はもともとは、人間棋士とコンピューターソフトとの対局「将棋電王戦」の、人間側の挑戦者を決めるための予選トーナメント、という位置づけではじめられた棋戦であった。当初は一般棋戦扱いであったが、将棋電王戦が終了となったのを機に、独立したひとつのタイトル戦として新たに位置づけられたのである。

誕生当初は「第8のタイトル戦」だというのでニュースになったが、僕に言わせればポイントはそこではない。真のポイントは、将棋史上はじめて、新聞社以外の企業がタイトル戦のスポンサーになったという事実だ。叡王戦を主催するドワンゴは、言うまでもなくIT関連企業である。

皆さんは「将棋棋士って、どうやって食っているんだろう?」と不思議に思ったことはないだろうか。

彼らは、日本将棋連盟という組織から、対局料ないし賞金というかたちでお金をもらい、生活しているのである。ではその日本将棋連盟はどこからお金をもらっているのかというと、棋戦のスポンサーである新聞社からお金をもらっているのである。

各新聞社が、名人戦竜王戦などのタイトル戦を開催し、棋士たちが棋譜(対局の記録)を残す。その棋譜を、スポンサーの新聞社が独占的に囲碁将棋欄にて掲載するのである。お金は、棋譜提供の見返りなのだ。

将棋界のスポンサーは、元をたどれば、江戸幕府であった。ところが明治維新により幕府が倒れてしまったせいで、将棋界はスポンサーを失い、危機に陥った。なんとか活路を見出すべく試行錯誤した将棋界がようやく新たに見出したスポンサーが、新聞社であったのだ。

ところがその新聞社も、周知のとおり、いまや斜陽産業である。A日新聞は(よせばいいのに)モリカケ報道を延々と繰り返した結果、ついに発行部数を大幅に落としてしまったらしい。かくして将棋界に、明治以来の大きな変革の波が押し寄せているのだ。

ドワンゴは、ご存知のように最近はどうにも不振なのだが、将棋界の8大タイトル時代を維持するためにも、ここはひとつ、なんとか踏ん張ってほしい。

 

映画

今月も、例によって映画(DVD)を30本見た。

今月はいい映画が多かったので、そのなかからベストを選ぶのはなかなか難しいのだが、う~ん、『夜は短し歩けよ乙女』にしようか。

いかにも森見登美彦原作らしい、京大生の非モテルサンチマンに満ち満ちた世界観を、湯浅政明監督は『四畳半神話大系』で見せてくれたような、あの魔訶不思議な世界へと映像化してくれた。主人公役の星野源が棒読みであることさえ除けば(w)、とても良く出来た映画だった。

このほかにも良かった映画をいくつか。

『サウルの息子』は、人間をモノとして扱う「工場としてのアウシュビッツ」に対する最も根源的な次元でのプロテストが、モノ(死体)を人間として扱う「弔い」であることを説得的に描いた作品であった。

『世にも怪奇な物語』は、欧州の巨匠たちによるオムニバス作品。なかでもフェリーニ御大がお見事でした。

『美しい星』は、三島由紀夫原作の本質が「内容と文体のギャップ(に由来するお笑い)」にあることを吉田大八監督が見抜き、それを見事に映像化してみせた佳作であった。

『ニュースの真相』は00年代のアメリカが舞台だが、まるで今日の日本を見ているかのようだ。怪文書を巡って繰り広げられる保守の政治指導者vsリベラル派のメディア人vs保守系ネット民という構図は、モリカケ騒動にさんざん振り回された日本でももはやおなじみのものだろう。

『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』は、高速道路上で男がひたすら車内電話をかけ続けるという、ただそれだけの映画。にもかかわらず、グイグイと引きつけられる。いやぁ、これは完全にアイデアの勝利ですなぁ。

『ラ・ジュテ』も良かった。全編スチール・カット(静止画)という大胆な演出には、驚き。フランス映画って、こういう変わった演出の作品が多いですね。

 

今月も、本をたくさん読んだ。

映画同様、本も優れたものが多かったので、ベストをひとつ選ぶのが難しいのだが、社会学者・稲葉振一郎さんの『経済学という教養』を挙げることとしよう。例によってまだ更新が追いついていないが、来月上旬にはレビューを公開できるはずである。

この国の社会学者と呼ばれる人たちは、率直に言って経済オンチである。彼らが口癖のように言う「この国はもう成長しない」「モノの豊かさより心の豊かさ」といった言説のせいで、どれだけこの国の政策が迷走したことか。

そんななかにあって、稲葉さんは例外的に、社会学と経済学の橋渡し役を担おうとしている社会学者である。こういう人がもっと増えてくれればいいのに、と思わずにはいられない。

このほかには、先日公開した『もうダマされないための経済学講義』も良かった。若田部昌澄さんの本はとても分かりやすく、勉強になる。経済学についてもっと知りたい、勉強したいという一般の人々には、同じくリフレ派の経済学者である飯田泰之さんの著作とともに、若田部さんの本をおすすめしたい。

『経済政策で人は死ぬか?』も実に良い経済書だった。結論から言えば、経済政策(次第)で人は死ぬのである。不況期における財政出動の重要性と緊縮財政の危険性がよく分かる本だった。

ここまで経済書ばかり挙げているが(w)、仏教書も良いものが多かった。

ネルケ無方さんの『禅が教える「大人」になるための8つの修行』はそのひとつ。仏教は「無我」の教えを説くので誤解されがちだが、仏教は「自分をなくす教え」ではない。「自分を大切にする教え」だったのだ。

そのネルケさんはじめ5人の僧侶が書いた『僧侶が語る死の正体』も良かった。南直哉さん、釈徹宗さんの話の面白さは相変わらずだが、個人的には上座部仏教のお坊さんたちの話をはじめて聞けたのが大きな収穫だった。