Furusawa Keisuke's blog

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書評『現代語訳大乗仏典 般若経典』

子供のころ、僕は、お経というのはてっきり、なんの意味もない呪文なのだとばかり思っていた。

それなので、高校の倫理の教科書にお経の現代語訳が掲載されているのを見たときは、「えっ!? あ! お経って、ちゃんと意味あったんだ!!」と目を丸くするほど驚いたのをよく覚えている。

 

今日から、一週間ほどかけて、お経の現代語訳を皆さんにご紹介しようと思う。

取り上げる書籍は、『現代語訳大乗仏典』(東京書籍)シリーズだ。

著者は、仏教学者の中村元さん(1912-1999)。中村さんは、仏教研究の第一人者として、これまでに優れた仏教書を数多く著してきた。彼の文章は、碩学であるにもかかわらず――否、だからこそ、というべきか――とても平易なもので、我々初学者でもスラスラと読むことができる。

今回取り上げる『現代語訳大乗仏典』は、まずお経の漢訳を書き下した文を、次にサンスクリット語の原典を現代日本語に訳した文を、そして最後に中村さんによる解説文の三つを掲載、お経について読者にくわしく説明している。

本日取り上げるのは、そんな『現代語訳大乗仏典』シリーズの第一巻、『般若経典』だ。

 

本著『現代語訳大乗仏典 般若経典』では、『般若心経』、『金剛般若経』などの般若経典が取り上げられている。このうち『般若心経』はとても有名なので、皆さんもよくご存知のことだろう。これについての解説や現代語訳も、これまで数多く出版されている。たとえば本ブログでは以前、認知科学者・苫米地英人さんによる現代語訳を取り上げたことがある。

『般若心経』といえば有名なのが末尾の「羯諦羯諦、波羅羯諦」(ぎゃーてーぎゃてーはーらーぎゃーてー)という真言の部分だ。これについて、苫米地さんは古代シュメール語が起源だとする、かなり大胆な仮説を唱えていたが、中村さんはサンスクリット語であるとしている。ただし正規のサンスクリット語ではなく、もっとくだけた口語的表現のようである。

中村さんは、「羯諦羯諦」以下の真言部分を、以下のように訳している。

「往ける者よ 往ける者よ 彼岸に往ける者よ 彼岸にまったく往ける者よ さとりよ 幸あれ」

どうだろう。これまで意味不明の呪文のようにしか思えなかった『般若心経』が、にわかに生き生きとした言葉となって、我々現代人の胸に響いてこないだろうか?

 

大乗仏教において、最も重要な教義のひとつが「空」(くう)だ。この空について説明しているのが、『般若心経』をはじめとする般若経典なのである。

有であると同時に無であり、無であると同時に有でもあるという、空。

なんとも難しい概念だが、僕は最近、この空というやつが、なんとなく分かってきたような気がするのだ。

ブログでも書いたが、今年1月、僕は区のゴミ清掃工場を見学した。そのときは「わーい、大人の社会科見学だ♪」とただ浮かれているだけだったが、今思えば、あのゴミ清掃工場こそ、空の何たるかを知ることのできる一番の環境ではなかったか。

そこでは、さまざまな形状、材質、質量のゴミが一度に焼却炉に投げ込まれ、一千度近い高温で燃やされる。燃やされたゴミは、水蒸気と二酸化炭素、その他もろもろの排ガスと灰に分解され、工場の外へと排出される。山ほどあった大量のゴミが、元の二十分の一ほどの体積の灰となって出てくるのだ。

これこそ、まさに諸行無常ではないか。形あるものはかならず、その形を失う。それでいて、排出される水蒸気や二酸化炭素なども加算すれば、原子の総量は元と変わらない。まさしく『般若心経』の言う「不生不滅」そのものだ。

皆さんも、だまされたと思ってぜひ一度、ゴミ清掃工場を見学にいくといい。仏教の教えが、なんとなく分かってくるはずだ。

 

仏教の教えは、なんとも抽象的なようでいて、実は我々の生活のごく身近なところで、見てとることができるのである。

 

般若経典 (現代語訳大乗仏典)

般若経典 (現代語訳大乗仏典)