Furusawa Keisuke's blog

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書評『現代語訳大乗仏典 法華経』

戦前の日本の右翼について研究しようとすると、どうしてもぶち当たるのが、法華経ないし日蓮主義である。

戦前の日本では、これらに帰依する右翼人たちが実に多かった。たとえば北一輝法華経を熱心に読経するのが日課であったし、石原莞爾日蓮主義に深く帰依、その理念に基づいて満州国を建国したのであった。

このほかにも、血盟団の指導者であった日蓮宗僧侶・井上日召など、右翼と法華経ないし日蓮主義の関係について触れたらキリがない。

 

ところが僕は、この法華経、恥ずかしながらまだ一度も読んだことがなかったのだ。

『般若心経』なら短いし、僕の実家のお寺曹洞宗でもたびたび読まれるから縁があったのだが、法華経は……。

正直、「南無妙法蓮華経」というあの有名なお題目しか知らない。しかも、某新興宗教のせいで、どうにもよろしくないイメージが付きまとう。

しかし、どの分野でも「食わず嫌い」はよくないだろう。現に、日蓮『立正安国論』が当初イメージしてた内容とだいぶ違っていて驚いた、という経験を今年の初頭にしたばかりである。

そういうわけで、今回、仏教学者・中村元さん(1912-1999)の『現代語訳大乗仏典』シリーズ第二巻、『法華経』を読んでみた次第である。

 

法華経』は、説明文ではなく、物語文の形式をとっている。まず、お釈迦様が説法をするというので、仏弟子や一般の人々、さらには神々までもが集まってくるという場面からはじまる――こういう出だしは、お経では定番らしい

お釈迦様ははじめに、「三乗は実は一乗である」という教えを説く。これについては後述するとしよう。

中盤に入り、にわかに劇的な展開が起こる。「お釈迦様が亡くなられたら、どうか私たちに、この娑婆世界において『法華経』を広めさせてください」と請願する菩薩たちを前に、お釈迦様は「私の死後、この娑婆世界に『法華経』を広める任を負った菩薩なら、すでにいる」と宣言する。するとどうだろう、地中から一斉に菩薩たちがドドドッ!と湧き出てくるではないか。

これが『法華経』のいう地涌の菩薩である。なんとドラマチックな展開だろう。

インドにおける新仏教運動の指導者である日本人僧侶・佐々井秀嶺 さんは、同運動の提唱者ビームラーオ・アンベードカルをはじめて知ったとき、「彼こそ『法華経』のいう地涌の菩薩そのものだ」と思ったという。昨夏、彼の著書を読んだときには「へぇー。ところで地涌の菩薩って、何?」と思ってしまったが(;^_^A、なるほど、これのことだったのだ。

 

法華経』は後半にて、いよいよ核心部分へと踏み込んでいく。

そこでは、歴史的人物としてのブッダ(お釈迦様)のみが仏なのではなく、実は、仏というのはもっと抽象的な存在であり、それが人間としての肉体を得てこの世に現れたのがブッダであった、と説明されるのである。

これは、キリスト教におけるイエスの受肉(Incarnation)の教理と似ているし、実はイスラーム教の神秘主義にもこれとよく似た「ムハンマドの本質(ハキーカ・ムハンマディーヤ)」なる概念があるのである。

世界三大宗教は、意外なところで相通ずるものがあったのだ。

 

さて、『法華経』の内容のなかで個人的に最も面白いと思うのは、「救済の方法はいろいろありますよ」と認めているところである。

法華経』以前、仏教の実践方法として「三乗」というものがあった。「声聞乗」「縁覚乗」、そして「菩薩乗」の三つである。ところが『法華経』は、これらは実は「一乗」、つまりいずれも一つの真実の教えにほかならない、としているのだ。

ここで気をつけてほしいのは、三つのうちのどれかが真実なのではなく、三つ全部が突きつめれば真実に至る、としている点だ。

法華経』は、このように偏狭な教えでは決してないのである。

僕は、日蓮に対して当初抱いていた誤解を思い出す。僕は、日蓮は偏狭な人物だと誤解していたのだが、そうではなかった。彼は、(少なくともはじめのうちは)総合仏教としての天台宗を擁護する立場から、偏狭な(と彼が考える)念仏仏教を批判したのであった。

彼はどうして偏狭さを嫌ったのか。その答えは、『法華経』にあったのだ。

 

僕は、現代日本の、ある宗教家のことを思い出す。彼の教団は、一般にはカルトと見なされることが多いのだが、僕は十年近く前、ひょんなことから彼の講演を聞く機会に恵まれたのだ。

講演にて、彼は「宗教というのは山登りに似ている。どのルート(=宗教)から行っても、必ず最後には頂上(=真理)に達するのだ」と言っていた。「あぁ、なるほどなぁ」と感心したのをよく覚えている。

法華経』の言う「一乗」の教えも、これと同じ発想なのだ。あるいは彼は、『法華経』からインスピレーションを得たのかもしれない。

このような寛容の精神は、グローバル化がますます進展するこの21世紀において、ますます求められると言えるだろう。

我々は今一度、『法華経』を読み直すべきなのではないか。まぁ、さすがに『人間革命』までは読まなくていいと思いますけどね。

 

『法華経』 (現代語訳大乗仏典)

『法華経』 (現代語訳大乗仏典)