Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『近代天皇論』

本ブログでは、評論家・片山杜秀さんの著作をたびたび取り上げてきた。戦前右翼、音楽など、幅広い分野に精通した知識人である。

本日ご紹介する本は、そんな片山さんと、宗教学者島薗進さんによる対談本『近代天皇論 ――「神聖」か「象徴」か』集英社である。本ブログではつい先月、島薗さんと政治学者・中島岳志さんとの対談本『愛国と信仰の構造』を取り上げたばかりだ。

 

本著ではまず、近代における天皇制国家の誕生のいきさつが語られる。いささか驚かされるのは、天皇制国家の誕生には意外にも実務的な理由が関係していた、ということだ。

たとえば、日本は島国ゆえ、長い海岸線を有している。これを列強から守るためには、軍事力が必要だ。ところが江戸時代以来の武士だけでは数が足りない。そこで明治新政府は徴兵制を導入、兵隊をかき集めたのである。

だが所詮はかき集めの軍隊、このままではいざというとき命をなげうって戦ってくれるか心もとない。そこで「天皇の軍」「陛下の御為」という大義名分が持ち出されたのである。近代国民国家という概念が理解できなくても、天子様になら忠誠を誓える、というわけだ。

福祉制度にしても同様である。当時の日本はまだまずしく、福祉を充実させることができなかった。このままでは国民が納得しない。そこでこれまた持ち出されたのが、天皇である。

「たとえ生活が苦しくとも、陛下がこの困窮から救い出してくださる」――この社会的メッセージの創造こそが、明治期においては非常に大きな役割を果たしたのである。具体的にはそれは、恩賜財団済生会の創設、といったかたちで表れた。

天皇制国家の誕生は、このようにイデオロギー的側面というよりかはむしろ、実務的側面から必要とされたのである。著者たちのこの指摘は、僕にはとても興味深く感じられた。

 

……のだが(;^ω^)

先日の中島さんとの対談本と同様、本著も後半に入ったあたりから徐々に内容がアヤしくなる。

率直に言って、彼らの駄目な点は、経済学の知識が欠落していることだ。

片山さんにいわせれば、たとえばアベノミクスは「かつての高度成長よ、もういちど」という発想に基づいているらしい。

……全く違う。アベノミクスは、日本をデフレから脱却させ、(高度成長でなく)安定成長させるための経済政策の総称である。なにも年10%とは言わない。年に2~3%の緩やかな成長を長期にわたって実現することを目指すのが、アベノミクスである。

本著の著者たちはまた、リフレ派の経済学者たちの間では幻想にすぎないとして批判されている、いわゆる「1940年体制」についても、無批判に議論の前提としてしまっている。そのお次が、例の「日本はもう成長しない」ときた。

オイあんたたち、ちょっとは稲葉さんの本を読んで経済学を勉強しろっ!(w

 

……おっといけない、ここは書評なんだから、あまりカリカリするのは良くないですね(;^_^A

本著終章では、天皇の譲位――いわゆる「生前退位」――について議論されている。

片山さんの指摘で興味深いのは、今上天皇の譲位は、天皇を神格化させる「崩御」という一大イベントをキャンセルするものだという指摘である。

過去に、明治天皇大正天皇がそれぞれ崩御した際には、大葬の礼が厳粛に執り行われた。昭和天皇の場合、治世の後半はいわゆる「人間天皇」であったが、それでも大葬の礼の際には厳粛さが戻り、日本中が自粛ムードに包まれた。

大葬の礼こそ、天皇の神性を支える重要な儀式だったのだ。譲位は、その大葬の礼をキャンセルすることにほかならない。今上天皇いわゆる「生前退位を強くにじませるお言葉」の表明によって、昭和天皇の「人間宣言」は、二代にわたって、ついに完成されたのだ、という片山さんの指摘は、たいへん興味深かった。

 

ここから先は、もしかしたら保守派の人々から批判されてしまうかもしれないが、僕は今上天皇の譲位を断固支持する

もはや戦前的「現人神」など時代遅れだ。これからの天皇は「国民の天皇」である。そしてそれは、戦前の右翼思想家・北一輝の言う「国民の天皇」の実現に他ならないのだ。

 

……ねぇ、片山さん、島薗さん。せっかく良いことも言っているんだから、お願いだからもうちょっと経済学も勉強してくださいよ(w