Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『アメリカのデモクラシー』

19世紀フランスの政治思想家、アレクシ・ド・トクヴィル(1805-1859)の著書『アメリカのデモクラシー』岩波書店といえば、人文系の書籍のなかでは必ずといっていいほどその名の挙がる、名著である。

ところが僕は、今までこの有名な古典を読んだことがなかった。あまりに有名すぎるため、本著に関する解説はあまたの人文系の入門書に書かれており、そのせいで本著を読んだことがあるという錯覚にとらわれていたようだ(w

さすがに「それじゃあいかんだろう」ということで、今回、本著を生まれて初めて読んでみたという次第である。

 

まずは第1巻上から。

本著は、アメリカの地理に関する解説から始まる。つづいて、アメリカでいかに地方自治の精神が根づいているかが詳細な事例とともに語られ、(この上巻の)終盤にてアメリカの政治システムが実に細かいところまで延々と説明されている。

トクヴィルは、どうしてここまで詳細に説明する必要があったのだろう?

答え。当時はまだアメリカなど、無名の小国にすぎなかったからだ。

今でこそかの国は超大国となったものだから、日本人である我々もかの国の政治システムについてかなりの程度よく知っている。ところがトクヴィルがこの本を著した19世紀前半は、繰り返しになるが、アメリカなんて僻地にすぎなかったのだ。

おまけに、当時はまだ王政が一般的な政治体制である。トクヴィルの生きた時代、フランスでは革命が起こって、さすがに反動的なブルボン王家は退陣したが、それでも後を継いだのは、オルレアン王家、すなわち相変わらずの王政であった。

そんな当時にあって、アメリカは王を戴かない、数少ない共和制の国家のひとつだったのだ。かの国は、おまけに連邦制まで採用している。この当時、連邦制の共和国といえば、スイスなどごく一握りにすぎなかった。

トクヴィルの時代、つまり今からちょうど2世紀前の世界において、この連邦制共和国家が、いかに特異な存在であったことか。

トクヴィルは、だからこそ、かの国の政治システムを細かいところまで描写し、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国の読者たちに紹介する必要があったのである。

 

本著での詳細な記述を読むと、しかしながら当時のアメリカは今日とはまったく違う国だったのだ、とあらためて思い知らされる。

たとえば本著では、アメリカは弱い国だ、と強調されている。そんなか弱いアメリカが侵略されることもなく平和を謳歌していられるのは、ひとえに欧州列強から遠く隔たった新大陸に位置しているからだという。地の利を最大限に生かしている、というわけだ。

今日の「ナンバーワンのアメリカ」、「世界の警察官としてのアメリカ」を常に念頭に置いている我々21世紀の人間には、この「か弱いアメリカ」というのが、いまいちピンとこない。

教育制度にしてもそうだ。当時のアメリカでは、初等教育こそ普及していたものの高等教育となると全然ダメ、多くのアメリカ人は15歳くらいからさっそく働きに出る、と書かれている。

これも、今日のアメリカとは全然違うので驚いてしまう。今や、ハーヴァード大はイギリスのオックスブリッジ――オックスフォード大とケンブリッジ大をまとめてこう呼ぶ。日本で早稲田と慶応をまとめて早慶と呼ぶようなもの――を超え、世界第一位の大学だというのに。

 

トクヴィルが、アメリカには首都がない、と書いている点も興味深い。

「え、首都がない!? ワシントンDCがあるじゃん!」と我々はつい思ってしまうが、トクヴィルに言わせれば、あんなものは首都じゃない、ということなのだろう。

首都といえば、パリやロンドンがそうであるように、一国の政治、経済、文化、すべての中心であることが求められる。ポトマック河畔の平原に政治機能だけがボン!と置かれたワシントンDCは、当時のヨーロッパ人からすれば実に異様な都市であり、それゆえ首都と呼ぶに値しない存在であったのだろう。

 

アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)

アメリカのデモクラシー (第1巻上) (岩波文庫)

 

 

つづいて第1巻下へ。そう、まだ第1巻なのだ(;^_^A

トクヴィルは、いかにも19世紀の白人らしい、ヨーロッパ中心主義的な考えの持ち主であった。つまり「白人こそが唯一の文明人だ!」というふうに。彼は、ネイティブアメリカンを「蛮人」と平気で呼ぶし、黒人のことも「ニグロ」と呼んでいる――もっとも、当時はまだニグロは差別語ではなかったのだろうが

トクヴィルは、しかしながら同時に、ネイティブ・アメリカンや黒人への同情も忘れなかったのである。彼は本著のなかで、ネイティブ・アメリカンが故郷を追われる様子や、黒人たちが奴隷としてこき使われている現状を、詳細に書きつづっているのだ。

先の上巻における、地方自治、分権的政治体制がアメリカの光だとするならば、ここで描かれているのは、アメリカの闇である。

 

アメリカのデモクラシー〈第1巻(下)〉 (岩波文庫)

アメリカのデモクラシー〈第1巻(下)〉 (岩波文庫)

 

 

ようやく第2巻へ(w)。こちらは、第1巻と比べると抽象度の高い記述になっている。

本巻では、「なぜアメリカ人は○○なのか」という章が多いことに気づかされる。

なにやら今日の日本の程度の低い新書のタイトルのようで苦笑してしまうが(w)、これは、本著刊行当時、ヨーロッパを訪れるアメリカ人の数が増えつつあった、という事情が関係しているのだろう。

アメリカ人は、同じ白人といえども、ヨーロッパ人とはメンタリティーがまるで異なる。ヨーロッパ人たちは「こいつらは一体何者なんだ???」と困惑したに違いない。

彼らにとって、アメリカ人はまさしくalien(よそ者=異邦人=異星人)に他ならなかったというわけだ。

ヨーロッパ人(のひとりであるトクヴィルが一生懸命に「アメリカ人なるもの」を理解しようと努めた、その努力の結晶が、本著なのである。

 

アメリカ社会における、結社の重要性について指摘している箇所も、要注目である。

 

アメリカのデモクラシー〈第2巻(上)〉 (岩波文庫)

アメリカのデモクラシー〈第2巻(上)〉 (岩波文庫)

 

 

第2巻下。皆さんご安心を。これで最後である(;^_^A

そろそろ本巻の記述をいちいち解説するのもメンドくさくなってきたから、本巻のなかでひときわ興味深いと感じた箇所をひとつ、引用するとしよう。

≪今日、野心の感情を洗練し、規制し、分相応のものにすることは大いに必要だと思うが、これを枯渇させ、過度に抑圧しようとすれば、非常に危険であろう。(中略)

 本当のところ、私は、民主社会にとって、欲望が度を越すことはつましいことより怖れるところははるかに少ないと思う。もっとも心配なのは、私生活の絶えざる些事の中に、野心が飛躍を忘れ、大きさを失うことであるように見える。人間の情熱がいっせいに静まって、低下し、その結果、社会の歩みはより静穏で、高邁さを失うのではないか、それを怖れるのである≫(2巻下149頁)

どうだろう。僕はこの箇所を読んで、今日の日本における長期デフレ、いわゆる「失われた20年」をどうしても想起せずにはいられなかった。

 

アメリカのデモクラシー〈第2巻(下)〉 (岩波文庫)

アメリカのデモクラシー〈第2巻(下)〉 (岩波文庫)

 

 

さて、本著を最後まで読んでみて、驚いたこと。それは、トクヴィルの文章がとても読みやすいということだ。

フランス人にありがちな、あのやたら衒学的で読者を煙に巻くような悪文が、本著にはまったくといっていいほど見られない。おかげで最後までスムーズに読むことができた。

本著は、文庫版で全2巻、それぞれさらに上下巻に分かれている。全4巻。当然ながらその内容はボリューミーだ。

一回読むだけでは損! 何回でも繰り返し、本著を味わってほしい。