Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

最近見た映画の感想(第236回)

・『天心』

本ブログでは以前、岡倉天心『茶の本』の解説本を取り上げたことがある。

岡倉天心は芸術家であり、また評論家としても活躍した。彼は今日、アジア主義の思想家のひとりとして知られている。

本作は、そんな天心の没後100年を記念して、2013年に制作された日本映画である。天心を演じるのは、竹中直人

天心は、東京美術学校(今日の東京芸大の初代校長を務めたが、芸術家特有のその強烈な個性ゆえか周囲の反感を買い、辞職を余儀なくされる。彼はめげることなく、日本美術院という芸術家団体をあらたに設立。後に日本画の巨匠として名を残すことになる横山大観はじめ、教え子たちが天心を慕い、この日本美術院へと加入した。彼らは茨城県・五浦にある天心のアトリエへと移り住み、日本画の修行にはげんだ。

本作は、なにせタイトルが『天心』というくらいだから、てっきり彼が主役なのかと思いきや……。天心はどちらかというと教え子たちを見守る金八先生的なポジションであり(w)、ストーリーの中心となるのはむしろ教え子たち、それも有名な大観ではなく、彼の親友であった菱田春草であるところが、本作のポイントだ。

わずか36歳という若さで夭折した、春草。本作は、彼の薄幸の生涯に迫る。

公式サイトを見ると、どうやら本作は天心たちをいわゆる「クール・ジャパン」の先駆けとして捉えているようだ。う~む、その見方は、正直いかがなものかと思うが……(;^_^A

 

天心

天心

 

 

・『アポカリプト

『パッション』でキリストの壮絶なる受難を描き、世界をアッと言わせた、メル・ギブソン監督。

そんな彼がキリストの次に選んだ主題は、意外にも、マヤ文明であった。

全編にわたって古代アラム語が用いられた『パッション』に対し、本作『アポカリプト』では古代マヤ語が使用されている。ギブソン監督、どうやらこの手法がすっかりお気に召したと見える(w

主人公の青年が暮らす、ユカタン半島の平和な村。そんな村がある日、何者かによって襲撃され、壊滅してしまう。青年は家族を殺され、自らも捕虜として連行される。連行先で彼が目撃したもの――それは、マヤ文明の巨大な石造都市であった。

マヤ文明は、暦をはじめ、極めて高度な文化、科学を有していた古代文明として知られ、その人気は根強い――僕は少年時代、古代エジプトよりもマヤのほうが好きでした。本作で描かれるマヤ文明は、しかしながら一般的なイメージとは異なり、極めて退廃的な文明として描かれている。

環境破壊、貧富の格差、人心の荒廃……。

主人公の青年の村を侵略したのも彼らであり、その理由は「奴隷や生贄を確保するため」であった。

本作は我々に、古代アメリカ大陸の文明のイメージを再考するよう促す。我々はつい、「古代アメリカ大陸の文明=ヨーロッパ人に侵略された可哀想な被害者」という図式で捉えてしまいがちだ。だがそのアメリカの文明とて、ヨーロッパ人到来以前には、周辺の他の民族を侵略することによって、その勢力を拡大していったのである。

ストーリーの紹介に戻ろう。青年は危うく生贄にされかかるが、たまたま日蝕が発生してくれたおかげで間一髪、脱出に成功する。追っ手が執拗に彼を追跡する。本作はかくして、ひたすら主人公がジャングルのなかを逃げまわるという、アクション・サスペンスの様相を呈する。アクションと思想性、その両方を兼ね備えた作品こそ、秀作と呼ぶにふさわしい。

終盤、海岸へと追いつめられた青年の前に、“あるもの”が唐突に姿を現す。ネタバレになるので本ブログではこれ以上は書かないが、この“あるもの”と先述の荒廃したマヤ文明の描写をあわせると、冒頭の「文明が征服されるのは、内部からの腐敗が原因である」とのナレーションの意味が、ようやく理解できるのである。

 

 

・『親鸞 白の道』

本ブログではこれまで、浄土真宗の開祖・親鸞に関する解説書や評伝を取り上げてきた。今回は、映画である。

越後国、今日の新潟県に、京から念仏宗の僧・親鸞が流されてきた。かの地にて、親鸞ハンセン病患者をはじめ、社会から虐げられている弱者たちを直にその目で見、接していく。彼らを救うべく、親鸞は東国に念仏の教えを広めることを決意する。

原作は、あの三國連太郎。監督もこれまた三國連太郎である。日本を代表する名優のひとりである、三國。実に多才の人であった。

本作において親鸞を演じた森山潤久は、この当時はまだ新人であった――そのためエンディングにて「新人」とクレジットされている。森山は、僕の思い描く親鸞のイメージとはちと違っていたものの(w)、それでもとても人情味のある親鸞に仕上がっていた。

 

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・『あおげば尊し

テリー伊藤演じる、小学校教諭の主人公。彼の父もまた教師であったが、現在では寝たきりであり、その死期は間近である。

彼の教え子のひとりである男児は、死への関心がひときわ強く、そのせいで周囲からは問題児と見なされている。

主人公は、ある大胆なアイデアを実行に移す。男児を自宅に招き、寝たきりの父と交流させたのだ。保護者たちからは「人の死を教材にするなんて!」と反発の声もあがるが、主人公はこの“授業”を続ける。やがて男児は、命とは何か、を学び始める。

ラスト、逝去した父の葬儀にて、彼の教え子たちが唱歌「あおげば尊し」を皆で歌う場面が感動を誘う。エンディングで、現役時代の亡き父の後ろ姿が描かれるのも、なお良し。

――本ブログにてたびたび著作を取り上げている曹洞宗の僧侶・南直哉(みなみ・じきさい)さんは、子供のころ、人一倍死への関心が強かったという。南さんは、あるいは本作の男児のような少年だったのかもしれない。

 

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・『タッチ・オブ・スパイス』

トルコはイスタンブールにて暮す、ギリシャ系の主人公の少年。彼はスパイス(香辛料)天文学が大好き。スパイス屋のおじいさんのもとで、これらふたつを学んでいる。

そんな彼を取り巻く環境は、しかしながら平穏なものではなかった。日本では意外と知られていないが、ギリシャとトルコは犬猿の仲。少年ら在トルコ・ギリシャ人たちは、両国の関係悪化を理由に、ギリシャへの移住を余儀なくされる。だが“祖国”ギリシャへと戻っても、彼らは周囲のギリシャ人から「トルコ人」扱いされてしまう。

こうした宙ぶらりんの状態は、わが国における在日韓国・朝鮮人と似ていると言えるだろう。彼らもまた、日本では「朝鮮人」と呼ばれるものの、半島では「パンチョッパリ(半日本人)と呼ばれるからだ。

このように両国間の緊張をテーマ(のひとつ)とする本作であるが、それでも優れた点は、説教臭くないということだ。両国の対立は、あくまで背景として描かれるにとどまる。

真のテーマは、少年と彼を取り巻く人々の人生を描くことにこそある。

本作は、ギリシャ映画。いかにもヨーロッパ映画らしい、ペーソスに満ちた作品である。

あぁ、いいなぁ。ひさしぶりに、ヨーロッパ映画を堪能したなぁ。……そんな気持ちにさせてくれる一作だった。

 

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