Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『出家の覚悟』

本日取り上げるのは、本ブログではもはやおなじみ(w)曹洞宗の僧侶・南直哉(みなみ・じきさい)さんの対談本『出家の覚悟 日本を救う仏教からのアプローチ』(サンガ)である。

今回の対談相手は、スリランカ出身の上座部仏教僧侶、アルボムッレ・スマナサーラさん。

記憶力に優れた読者の方なら、以前本ブログにて取り上げた『僧侶が語る死の正体』で、ふたりが“共演”していたのをご記憶のはずだ。

 

さて、今回の対談本を読んで驚いたのは、ふたりとも意外に相性が良く、対談がちゃんと噛みあっていたということだ。

「意外に」とは、どういうことか。実を言うと僕、上座部仏教に対して偏見を持っていたのだ。

それは、上座部仏教はすぐに「これが答えだ!」と教条的な答えばかり出して、異論を認めない宗派なのではないか、という偏見であった。

これは何と似ているかというと、かつてのマルクス主義と似ているのである。20世紀のマルクス主義者たちもまた、自らの信奉するマルクス主義を「科学」と称し、森羅万象、すべてこの「科学」で説明可能だと誇ってきた。

上座部仏教にも、それと似た匂いを感じていたのだ。

 

そしたら、違った(w

上座部仏教はガチガチの教条主義などではなかったし、スマナサーラさん個人もまた、決して教条的な人ではなかったのだ。

彼は、たとえば上座部仏教における重要な経典「アビダルマ」について、それ自体はブッダの言葉を述べた真理ではない、と述べている。上座部仏教もまた、教団内部での(自己)批判が盛んなのだという。これは意外だった。

南さんも当初、僕と同種の誤解を抱いていたようで、その誤解が解けてからはとても議論が噛みあっていた。ふたりとも毒舌キャラなのでなおのこと相性が良かったのだろう(w

 

むしろ、あまりに相性が良すぎるせいで、ふたりで勝手に納得してしまい、読者が置き去りにされかねないほどだ。

たとえば、スマナサーラさんがなにやら抽象的な話をし、南さんが「ああ、なるほどね」「わかりました」と納得して、どんどん議論が進んでしまうのである。

いや、ちょっと待って!www こっちは全然わかってませんからww 勝手に「わかりました」とか言って納得しないでくださいwww ……と、こういう感じなのである(w

ただ、前にも書いたとおり、「意味はわからないけど、なんかスゴイ」ということは、ありうる。本著でも、ふたりの議論は難しいが、だからこそ圧倒されるのである。皆さんもぜひ、彼らの濃密なる仏教談義を味わってほしい。

 

ふたりの対談は、前半が仏教に関するやや抽象的な議論で、後半が現下の日本社会に関する具体的な分析、提言となっている。後半部は確かにアクチュアルではあるが、そのぶん、上述のような「スゴさ」は薄まってしまったように思える。

とはいえ、面白い箇所もやはり多い。毒舌家であるふたりは、たとえば、いつまで経っても夢を追い続けるフリーター青年(中年?)などをここで仮借なく批判しているのであるw(;^ω^)

老いのスピードは、彼らが思っている以上に、速いのだ。とりわけ女性は特にそう。スマナサーラさんはこう言っている。

≪若くて元気でいるのはほんの五、六年でしょう。時間のスピードは、特に女性にとって恐ろしいものですよ。

(中略)

男は三五、六歳でも、四〇歳でも結婚できるのだけれど、女性はそうはいかない。老いるスピードがものすごく速い。

 そこでいくらかは、人生に対して緊張感をもってほしいのです。「ああ、時間は待ってくれないのだ」と。≫(188頁)

あぁ、そうかもしれないな、と思った。

恥ずかしながら、僕は33だというのにいまだに自分が20代のような気がしている――あぁ、こういう僕みたいな人間が両先生の批判の対象になるんですね、わかりましたw。ところが、僕と同世代の女性たちは、おそらくその多くがすでに結婚し、出産まで経験しているのだ。僕と彼女たちとでは、時間の流れがまったく違うのである。

「○○ちゃん、結婚はまだ?w」という言い回しは、今やセクハラの常套句となってしまったが、僕は、これは必ずしもセクハラとは言えないのでは、と思っている。いつでも結婚できる男とは異なり、女性は出産などの事情を考慮すると、やはり結婚適齢期は限られている。彼女たちに結婚を促すことは、むしろ必要なことなのではないか? なんでもかんでもセクハラだと退けてしまって、果たして本当に良いものだろうか?

   

上掲の『僧侶が語る死の正体』を読んだとき、「アレ? 上座部仏教って、巷で言われるほどには、日本仏教と大差ないんじゃないか?」と思ったものだった。

本著を読んで、ますますそう思うようになった。

もっと、大乗、上座部の間で意見交換、人的交流が活発になることを願ってやまない。