Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『歴史感覚』

評論家の西部邁さん(1939-2018)が自ら命を絶ってのち、僕は「あぁ、こんなことなら彼がまだ存命のうちに、もっと彼の本を読んでおくべきだったなぁ」としきりに後悔している。

存命の人物であれば、定期的に都内で出版記念のトークショーなどが開かれるだろうから、それに参加してご本人とお話をすることができる。なんなら二次会までついていくことだってできる――人文系オタクの青年たちは往々にして、そうやって人脈を増やしていくものである

一方、鬼籍に入ってしまったら、もうその人とのコミュニケーションは断絶してしまう。

 

正直に白状すると、僕は西部さんのあまり良い読者ではなかった。

やたらとカタカナ言葉が入り混じった彼の独特の文体。明らかに酔っぱらった状態でテレビ出演したり、討論でちょっとでも旗色が悪くなるとスタジオから帰ってしまうなどの、あまりにフリーダムすぎる彼の言動が、僕を評論家・西部邁の著作から遠ざけてきたのかもしれない。

だが、彼の言動で一番鼻についたのは、彼がなにかにつけて大衆を見下すことであった。

アンタ、単に大衆を見下してインテリぶりたいだけじゃないのか――そう思ったのだ。

 

しかしながら最近、彼の言いたかっただろうことが、少しずつ、分かるような気がしてきたのである。

はっきり言って、現下の日本の民主主義は、絶望的だ。

高齢者たちは家でワイドショーばかり見ているから、「モリカケ! モリカケ! 疑惑はますます深まった!」と連呼するマスコミの偏向報道に、コロリと騙されてしまう。

小池百合子のようなポピュリスト政治家が登場すると、すぐにそちらになびく。それでいて、そのポピュリストの人気がひとたび陰りを見せはじめると、まるで潮が引くかのようにサーッと支持者が離れていく。数ヶ月後には、もう誰もポピュリストの名前すら口にしなくなる。

いくらなんでも、これはひどすぎやしないか。……あぁ、そうか。これが西部さんがあれほど忌み嫌った「大衆」というものだったのか。

 

ずいぶんと前置きが長くなってしまったが(w)、ここからようやく本著『歴史感覚 何が保守政治の神髄か』(PHP研究所)の紹介である。

本著は、西部さんが論壇誌などに寄稿した文章をまとめて、一冊の書籍としたものだ。

 

本著のなかで西部さんがたびたび強調するのが、輿論(よろん)と世論(せろん)の違いである。

今日の我々は、世論のことを「よろん」と読んでしまうが、それは「輿」の字が当用漢字から外れ、かわりに「世論」と表記されるようになったからである。そのせいで両者が混同され、輿論(よろん)と世論(せろん)の本来の意味の違いが分かりづらくなってしまった。

輿論とは理性的な討議に基づく市民の意見のことであり、世論とは「なんかよく分からんけど、モリカケ、あやしいぞ! 安倍さっさと辞めちまえ!」という大衆の感情的な意見のことである。

今は、輿論ではなく世論の時代である。西部さんは、それを嘆いているのだ。

今なら僕も、西部さんのこの嘆きが、すとんと腑に落ちる。昨年来のモリカケ騒動で、僕は大衆のバカさ加減に心底ウンザリさせられたからだ。

 

このほか、自生的秩序(スポンテイニアス・オーダー)の話も良かった。

先日、自由主義者は同時に保守主義者でもなければならない、という西部さんの言葉を紹介した。本著でも、彼はそう言っている。だが、自由主義者(リベラル)保守主義者でもあるとは、いったいどういうことか?

その謎を解く鍵が、自生的秩序なのだ。

自生的秩序とは、自由主義の思想家・ハイエクの言葉で、長い時間をかけて自然発生した社会の秩序のことを指す。この自生的秩序を否定して社会を人為的に設計し直そうとする立場は、設計主義と呼ばれる。ハイエクも西部さんも、この設計主義を批判し、自生的秩序を擁護するのだ。

自生的秩序は、権力に縛られることのない人々の自由な営みである。この自生的秩序を全体主義的権力から守るのが保守の仕事であり、またリベラルの仕事でもある。

かくして、保守とリベラルは矛盾しない、といういささか意外な結論が導かれるのである。

我々はつい、保守とリベラルを、水と油のような関係として捉えてしまう。

だが、それは間違いなのだ。これらふたつは、共存しうる。

ひとりの人間のなかに「保守的な部分」と「リベラルな部分」とが共存しうるのだ。「僕は40%保守だけど残り60%はリベラルだから、どちらかといえばリベラルなんだ」という物言いも可能なのである。

こういう、「保守でもありリベラルでもある」人間は、ファシズム共産主義といった左右の全体主義に反対することだろう。

つまり、「保守/リベラル」という分水嶺があるのではなく、「保守&リベラル/左右全体主義」という分水嶺がある、と見るべきなのである。

 

僕はようやく、西部さんの良き読者になれたような気がする。

こんなことなら、もっと早くから彼の本を読んでいればよかった。そうしていれば、ご本人にお会いできる機会も、もしかしたらあっただろうに。

一生の不覚である。

 

歴史感覚―何が保守政治の神髄か

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