Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『中年男に恋はできるか』

僕ももう、33歳。そろそろ、世間でいうところの「中年」の域にはいる。

そんな中年ビギナーの僕が今回手に取った本が、こちら。

『中年男に恋はできるか』洋泉社である。

 

……て、え??? わざわざ「できるか」って疑問形にしてるってことは、中年男はふつう恋ができないの????

 

……なんともショッキングなタイトルの本である(;^_^A

本著は、評論家の小浜逸郎さんと、同じく評論家の佐藤幹夫さんのふたりによる対談本。どちらかというと佐藤さんが聞き手に回り、小浜さんが答える、というかたちになっている。

2000年に出た本なので、基本的に、性愛に関する90年代後半の映画や小説が分析の俎上に載せられる。たとえば、北野武監督『HANA-BI』や、当時社会現象にまでなった渡辺淳一失楽園』など。とりわけ『失楽園』は懐かしい。僕は当時、中学生。周囲の大人たちの目にビクビクしながら本屋で立ち読みしていたのを思い出す(w

小谷野敦さんの『もてない男』までもが語られるところがやや意外で、面白い(w)。この本は、後の「非モテ論壇」に影響を与えたとされる著作であるが、小浜さんは、「そもそも小谷野さんは本当にモテないのか」とかなり根源的な次元から疑問を投げかけている。「写真を見る限りでは、(小谷野さんは)咥え煙草で髭の手入れもしっかりしていて、カッコいいよ」と小浜さん。うん、僕もまったく同感(w

 

小浜さんは、わりと難しい内容の本が多いのだが、本著は対談本であるためか、わりと平易な話し言葉で書かれていて、分かりやすい。もっとも、第四章では哲学に関する結構高度な話になる。

 

本著の一番の見どころは、性愛の話よりもむしろ、エロスに関する議論ではないだろうか。

小浜さんは第四章にて、従来の哲学はエロスの問題をあまり取り上げてこなかったのではないか、と批判している。ここは、小浜さんの思想家としての原点ないし所信表明ともいうべき重要な箇所なので、少々長くなるが以下に引用する。

≪エロスの問題や情緒、あるいは感情の問題を、たとえば哲学的な抽象言語でとらえようとすることにはたしかに難しいところがあって、西洋の形而上学の伝統というのは、本流としては理性中心なわけです。

(中略)

人間は、互いにあいかかわる存在であるし、互いにあいかかわるときには情緒を強力な媒介にしているわけです。情緒によって判断し、行動している。つまり行動につながる判断そのものは、必ずしも理性ではないということですね。感情や情緒ということを、なにか理性よりもワンランク落ちるものであるかのように扱うことは、根本的にまちがっているぼくは思っているわけです。

(中略)

哲学はロゴス中心ですし、哲学者は賢者としていかによく生きるかということを目指し、そのために言葉を駆使してきたわけです。したがって哲学者は、己れに近づけて世界や人間を語ってきた。つまりみんな賢者なんですよ。だけど、ぼくは賢者になんかなりたくない(笑)。それよりも、人間がいかに感情に翻弄されるかということをそのまま、ありのまま見たいという気持ちのほうが強いですね。≫(150‐151頁)

そうだ、僕も実は性欲の強い人間だから(w)、よく分かる。人間というのは、決して理性的な生き物などではない。その点、人間の理性を重視する左翼のものの考え方には賛同しかねる。

もっとも、普通はそこで「人間はもっと、感情や情動に突き動かされる生きものなんだ」というふうに議論が展開されるのだが、小浜さんは、ただの情動ではなくエロス、つまり性欲に着目している。さすが、小浜さんの慧眼に感服せざるをえない。

僕自身、こう言うと意外だとよく驚かれるのだが、完全に性欲に支配されきった動物なのだ。何かをやろうと思っても、普段から性欲が強すぎるせいで、結局はダレてオ〇ニーばかりしてしまう(w)。そのせいで、せっかくの休日だというのに時間を浪費してしまう。そんなことばかりだ(w

性欲を頭ごなしに否定するのではなく、「そもそも人間とはそういう生き物なんだ」という前提に立ち、そこから議論を始めるべきではないだろうか。

 

……って、アレ? 本著を最後まで読んでみたけど、結局、中年男は恋ができるのかどうか、よく分からなかったな(;^ω^) どうなんだろう?(w

う~ん。たぶん、できる中年もいるし、できない中年もいるよ、という結論で、いいんじゃないかなぁ(w

 

中年男に恋はできるか (新書y)

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