Furusawa Keisuke's blog

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書評『ケインズの逆襲 ハイエクの慧眼』

日本ではどういうわけだか、左派といえば「金融緩和断固反対!」というスタンスが当たり前のものとなりつつあるが、欧米ではまったくそんなことはない。むしろ、左派のほうこそ「金融緩和大賛成!」というのが当たり前なのである。

日本の左派のなかでは珍しく、金融緩和の必要性を訴え続けているのが、経済学者の松尾匡(まつお・ただす)さんだ。彼は、金融緩和による緩やかなインフレを目指す「リフレ派」の論客のひとりに数えられている。

今日ご紹介する本は、そんな松尾さんの『ケインズの逆襲 ハイエクの慧眼』(PHP研究所)である。

 

「え、ケインズハイエク? よりにもよって、その取り合わせ?」

と、やや経済学史に詳しい方なら不思議に思われるかもしれない。一般にはこのふたり、かたや福祉国家、かたや新自由主義と、まるで氷と炭のようにまったく相容れない存在であると思われているからだ。

松尾さんは本著にて、「そうじゃない。このふたりは、もちろん違いも大きいのだけれど、実は巷で言われているほど違っているわけではないんだ!」と書いているのである。

ハイエク? あの、なんでも民営化っ! の人でしょ?」と思われがちだが、実際の彼は、民間企業のやることを公共団体がやるべきではない、と主張していたのだ。その点、たとえば橋下徹・元大阪市長がやろうとしたような民営化は、ハイエクの考えとは異なる、と松尾さんは本著のなかで指摘している――松尾さんは現在、関西の某私大の教授をつとめている

ハイエクだけではない。一般には新自由主義の権化と見なされがちなフリードマンについても、その思想をよくよく吟味してみれば、いわゆる新自由主義の特徴とは結構違うということが分かるのである。

 

しかし、本著のなかで個人的に最も面白いと感じた箇所は、また別にある。

最も興味をそそられたのは、中盤のゲーム理論に関する説明だ。

ゲーム理論!? 何ソレかっけー(www え、アレですか、テレビゲームで勝つための理論か何かですか?(ww

※もちろん違います。

ゲーム理論とは、≪互いに目的の違う人がお互いの影響関係を考慮に入れながら、相手の意思を読みあってものごとを決める決め方を考える数学手法≫(126頁)のことである。

たとえば、かつての日本ではいわゆる「日本的経営」がどうして支配的になったのか。これを松尾さんはなんと、ゲーム理論で説明してしまうのである。

詳しく知りたい方は本著を直接読んでほしいが、ここでポイントなのは、「それが日本人の国民性に合致していたから」ではないということだ。

ある国で、ある制度が普及した理由を、その国の国民性に求める議論は多い。ゲーム理論は、しかしながら、「そうではない。国民性なんか関係ない」――そう言っているのだ。

これは、僕にはとても刺激的な議論に感じられた。

う~む、ゲーム理論。もっと知りたい……

 

面白い箇所、まだまだあるよ。

一般に「競争原理を否定したせいでダメになった」と総括されがちなソ連であるが、松尾さんは、子供の受験戦争や大人の出世争いが熾烈を極めるなど、かの国が非常に競争的な社会であったことを明らかにするのである。

じゃあ、ソ連が崩壊したのは、一体どうして?

本著第2章を参照されたし。

 

リフレ派の論客のなかには、啓蒙的な語りを得意とする人が結構多い。飯田泰之さんや若田部昌澄さん、岩田規久男さんがそうだが、松尾さんだって負けていない。というか、個人的には松尾さんの文章が一番わかりやすいと感じる。

文章全体に、彼の生来の人懐っこさが滲み出ているのも、またなんとも味わい深い。

 

上述のとおり、日本の左派は、どういうわけだか「金融緩和反対! 緊縮財政断固支持!」が当たり前になりつつある。

一方、第二次安倍政権が金融緩和を盛り込んだ経済政策「アベノミクス」を実行に移したことで、日本ではむしろ右派のほうが金融緩和に肯定的になりつつある。これは、なんとも皮肉なねじれ現象である。

こうしたねじれのなかにあって、金融緩和の必要性を訴える松尾さんは、孤軍奮闘している観がある。

≪私が十年ほど前にリフレ派の端くれとして、田舎町の大学で「構造改革」批判をしていた当時、いずれ失業や格差の問題がひどくなるにつれて、左派・リベラル陣営に我々の主張がとり入れられて、この冷酷な自民党政権を倒して総需要拡大政策が実現される日が来ると期待していました。

 まさか自民党政権が倒れたあとで、リベラル派を自称する人たちによって輪をかけた緊縮デフレになるとは思っていませんでした。そしてまさかまさか! よりによって安倍さんによってリフレ政策が実現するとは……。≫(229頁)

欧米標準のリベラル・松尾さんの無念が、ひしひしと伝わってくる一節だ。