Furusawa Keisuke's blog

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書評『10万年の世界経済史』

産業革命は、まさしく“革命”であった。

これを境に世界全体のGDPは、それ以前とは比較にならないくらい、飛躍的に増大したのである。

では、“それ以前”の社会とは、いったいどのようなものだったのか。

本日ご紹介する『10万年の世界経済史』(日経BP社)のテーマは、まさにそれだ。

著者は、経済学者のグレゴリー・クラーク。

 

本著はまず、産業革命を境に世界全体のGDPがびよーん!と跳ね上がったことを示すグラフから始まる。てっきり著者は、近代を礼賛し、前近代をボロクソに貶したいのかと思いきや……さにあらず。

単純に「前近代は全然ダメ」というわけでもなく、前近代にも優れていた点はあった、というぐあいに著者は筆を進めるのである。

 

本著は、驚きがいっぱいだ。

たとえば、江戸時代の日本は同時期のイギリスよりも清潔であった。普通はそこで、昨今流行りの「日本SUGEEEEE!!!!!!」的な日本礼賛論へといくのだが、本著はそうではない。

むしろ、清潔だからこそ日本は同時代のイギリスよりも貧しかった、と著者は書いているのだ。彼は、日本の農民は有史以前の狩猟民よりも貧しかったとさえ述べている。かえって、ちょっとくらい汚れている国のほうが豊かだった、と言うのである。

この理屈は、正直僕にはイマイチよく分からなかったのだが(;^ω^)、ようするに、あんまり細かいことを気にしないおおらかな人々のほうが、物質的豊かさを手に入れやすいということなのだろう。確かに日本は、なにかと「清貧」を重んじる傾向があり、そのせいでたびたびデフレに苦しんできた。そう考えると、筆者の言うことにも一理あるな、と思えてくる。

今日の我々は、「豊かな国=先進国=衛生的」とつい考えてしまう。だがそれは、近代以降の発想である。近代以前においては、しばしば現在とは価値観が真逆であったという。今日の我々の価値観で前近代を見てはならない、と筆者は戒めている。

これは、僕にとってはけっこうな衝撃であった。

 

西暦1300年のイギリスと2000年の同国を比較する箇所も面白かった。我々は当然、現代のほうが進んでいるものと思ってしまう。ところが……

確かに、知的財産権の項目では2000年のほうが進んでいるものの、それ以外、たとえば労働市場の自由度などの項目では、意外や意外、1300年のほうがむしろ進んでいたのである。

う~む、これにも驚かされた。

 

10万年の世界経済史 上

10万年の世界経済史 上

 

 

続いて下巻。

世界史を振り返るとき、我々は「どうしてイギリスでいちはやく産業革命が起こったのだろう? どうして中国では、日本ではなかったのか」といつも不思議に思う。

ヘーゲルであれば、「それはヨーロッパが世界の最先端を行っているからさ! 中国?単に歴史が長いだけでずっと停滞してるでしょあの国www」と上から目線でドヤァ!と答えるところだろうが、さすがに21世紀の世界に暮らす著者は、もっと謙虚である。

あるいはマックス・ウェーバーであれば、「それは資本主義の精神ゆえだ」と答えるところだろうが、著者は別のアプローチを試みている。

当時の中国の長江デルタ地帯――今でいうと、上海のあるあたり――や日本も産業革命が勃興する一歩手前くらいのところまでは行っていた、と筆者も認めている。そしていずれはこれら両国とも自力で産業革命を成し遂げていただろう、とも。では、繰り返しになるが、どうしてイギリスで?

意外にもそれは、同国で上流階級の人口がどんどん増えたからだと言うのである。

上流階級の人口が増えすぎると、中流以下の階級へと落ちこぼれてしまう人たちが多数出てくる。それは、落ちこぼれてしまった当人たちにとっては悲劇だろうが、社会全体で見ると、必ずしもそうとは言えない。

よく教育を受けた上流階級の人々が落ちこぼれることによって、上流階級の知識・文化が下の階級へと伝えられ、社会全体がより知的になるからである。

筆者は、これこそがイギリスの産業革命の原動力となった、と言うのである。これは、あまりにも意外で、それゆえに面白い指摘であった。

 

10万年の世界経済史 下

10万年の世界経済史 下

 

 

さて、あらためて本著の感想を。

やはり冒頭の、産業革命を境に世界のGDPが跳ね上がっているグラフのイメージが、あまりに強烈すぎた。

社会学者のアンソニー・ギデンズは自著のなかで、我々の住む近代という時代は、それ以前の時代とはまるで異なるものだ、と強調している。本著は、そのことを経済学の立場から裏付けてくれた。

あらためて、近代という時代の凄さというか、おそろしさに、思わず身震いしてしまった。