Furusawa Keisuke's blog

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書評『ポル・ポト〈革命〉史』

20世紀は、共産主義の世紀であり、同時に大量殺戮の世紀でもあった。

とりわけひどかったのが、カンボジアだ。犠牲者数では中国のほうが多いものの、国の総人口に対する犠牲者の割合でいえば、カンボジアのほうがより悲惨であった。なにせ、国民の3分の1近くが死亡した、とされているのだ。殺されたのは、それも知識人層であった。

平和が回復して後も、この国は長く、虐殺による爪痕に苦しめられ続けた。

 

本日ご紹介する『ポル・ポト〈革命〉史』講談社は、20世紀カンボジアにおける悲劇を取り上げた書籍である。著者は、ジャーナリストの山田寛さん。

 

東南アジアの小国・カンボジアは、フランスから独立した後も、政情不安で揺れ続けた。そんな不安定な情勢に乗じて、一挙に棚ぼた式にこの国の実権を握ってしまったのが、独裁者ポル・ポト率いるポル・ポト派であった。

ポル・ポト派が断行したのは、都市の住民を強制的に農村に移住させ、そこで労働させるという政策。日本の農本主義に似ていなくもないが、しかしながらこれは、まったく農民を尊重しないという、奇妙な“農本主義”であった。

それもそのはず、農村のことなどまるで知らないポル・ポトはじめ都市部のインテリたちが、勝手に「ああしろ、こうしろ」と指図するというのだから、うまくいくはずがないのである。

彼らはやがて、国内に強制収容所を建設、反対派を次々と投獄していった。

いや、「反対派」と言っていいものかどうか。実際には、単に知識階級の人々が勝手に「反革命」などのレッテルを貼られ、投獄され、そして処刑されたのであった。

収容所の看守のなかには、まだ10代の少年たちもおり――中国の紅衛兵のようなもの――彼らは中央から命じられるままに、囚人たちを処刑していった。しかし、彼らにイソップ物語を語って聞かせてあげたインテリの男性もおり、彼は「面白い話を語って聞かせてくれたから」というので死刑執行を免除されたという。なんだか悪い冗談のような話だが、本当にあったことだ。

 

ポル・ポトは、他の独裁者たちがそうであったように、ナルシシストであった。

ベトナムと違い、ろくにアメリカと戦ったわけでもないくせに「我々は米帝をはねのけた!」と自画自賛、「共産カンボジアこそ世界最高の国だ!」と叫び続けた。

ところが、他の独裁者たちとは違っていた点もある。

普通、独裁者といえば、自らの肖像を学校・役場など公共の場に掲げさせ、また自らの銅像も国中いたるところに建設させるものだ。

ポル・ポトは、そうではなかった。著者の山田さんの言葉を借りれば、彼は国民に対し一種の「かくれんぼ」をしていたのである。

彼の銅像や肖像は、全くなかったわけでもないが、他の共産国と比べるとその数はとても少なかったのである。

彼は、たとえるならば、マジックミラーの向こう側に立って、「相手側からは全く見えないが、こちら側からはすべてを見通せる」という環境を好んだ。銅像・肖像などの個人崇拝はその逆、「相手側から自分の姿がすべて見える」状態に他ならない。彼は、そうした状態を嫌い、あくまで自らをマジックミラーの向こう側に位置づけ、「かくれんぼ」を続けたのである。この点、いささかユニークな独裁者であった。

 

終章。しかしながら独裁者ポル・ポトも、晩年になると、娘をかわいがるひとりの平凡な父親としての側面を見せていたことを、本著は指摘する。他のポル・ポト派幹部たちも同様に、晩年には意外と家族との絆を重んじたようだ。

山田さんはそこから、ポル・ポト派もまた普通の人間であったのでは、と指摘するのである。

そうした事実は、しかしポル・ポト派を免責するものではもちろんないだろう。むしろ逆だ。普通の人間があれほどの悪事を働いてしまったからこそ、話はより深刻なのだ、と見るべきだろう。それは、ユダヤ人を大量虐殺したアイヒマンを「凡庸な悪」だと指摘したハンナ・アーレントと同じ視点である。

ポル・ポト派は、遠い世界の人々ではない。我々もまた、条件次第ではいつでもポル・ポト派になりうるのである。

 

ポル・ポト〈革命〉史―虐殺と破壊の四年間 (講談社選書メチエ 305)

ポル・ポト〈革命〉史―虐殺と破壊の四年間 (講談社選書メチエ 305)