Furusawa Keisuke's blog

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書評『針の上で天使は何人踊れるか』

近代の常識は、前近代の非常識である。その逆もまたしかり。

中世では、例えば頭のいい人たちが「神の存在証明」というのを熱心にやっていた。神が存在することを神学的に証明する、というものだ。

たとえば、こんな理屈。この自然界は、あまりにもうまく出来すぎている。なにか高度の知性があらかじめ設計したとしか考えられない。したがって神は存在する――これはまぁ分かりやすい。

一方、こんな理屈もあった。神には「永遠」「正義」などありとあらゆる属性がある。そして、「存在すること」それ自体もまた属性のひとつである。神ほどの完璧な存在ならば、当然全部の属性てんこ盛りのはずだから――すぐれたメイドキャラが「ツンデレ属性」「猫耳属性」などをことごとく兼ね備えているのと同じこと――「存在すること」という属性も当然兼ね備えているものと考えられる。ゆえに、神は存在するのである。

……とまぁ、こういう訳の分からない理屈によって、神の存在が「証明」されていったのであった。

こういう、現代人から見ればぶっちゃけアホとしかいいようのないことを、当時の頭のいい人たちは一生懸命、人生の貴重な時間を消費しながら、考えていったのだ。まったく、なんという才能の無駄づかいだろう!

 

本日ご紹介する『針の上で天使は何人踊れるか 幻想と理性の中世・ルネサンス柏書房は、そんな前近代の人々がいかに我々現代人と異なる考え方をして生きていたかを解説してくれる書籍である。

たとえば、驚くなかれ、昔の人は動物を死刑にした。死者にも刑罰を適用した。たとえば死体を掘りおこしてゴミ捨て場に捨てる、等々。

このほか、当時のインテリたちは、魔女の実在を大真面目に信じていたり、本著のタイトルにもなっている「針の上で天使は何人踊れるか」といった本当にど~でもいいテーマについて延々と議論するなどしていたのである。

 

う~む、昔の人たちって、もしかして、馬鹿だったのではあるまいか?(;^ω^)

そう考えてしまいたくなるだろう?

だが、ちょっと待ってほしい(←朝日新聞の社説風

昔の人々が今の我々と考え方が異なるというのなら、今の我々もまた、未来の人々から見れば、全く考え方の異なる、訳の分からない存在に思えるのではないのか。

僕は、中央線沿線に住んでいる。周知のとおり、中央線は人身事故でよく止まる。我々は「あぁ、また人身かぁ」と当たり前のこととして受け止め、場合によっては憤りすら覚えるが、たとえばもし、人身事故というものが完全に根絶された未来世界から人間が現代へとタイムスリップしてきたら、どうだろう。おそらく彼ら未来人は「えっ! 人が現に死んでるのにどうして“古代人”はこんなにも冷淡なんだ!?」とショックを受けるに違いない。

このように、一見堅固に見える「世の常識」なるものは、数百年のスパンで見れば、まったくもって様ざわりしてしまうものなのである。

中世のインテリたちにとっては、神の存在を証明するために頭脳をフル回転させることこそが「常識」であったのだ。

 

あるいは僕は、曹洞宗の僧侶・南直哉(みなみ・じきさい)さんが自らの著作のなかで触れていた、「科学には限界がある」という話を思い出す。

といっても、南さんは単純にオカルトを肯定しているわけではない。彼が言いたいのは、こういうことだ。

たとえば僕が神社で賽銭をネコババしたとしよう。その帰りに転んでしまったとする。現代科学は、僕がどのような物理的メカニズムで転んでしまったのかを丹念に記述してくれる。だが科学は、なぜ、ほかならぬこの僕が転ばざるを得なかったのかについては、答えを示してくれない。

その点、昔の人ならば「賽銭をネコババしたせいで神仏のバチが当たった」と解釈することだろう。

神仏のバチが当たった。

ずいぶんと非合理的に思える。だが、そう考えるのは誤りだ。たしかに神仏の存在を信じるのは非合理的だ。だがひとたび神仏の存在を信じ、それを前提としてしまえば、「神仏のバチが当たったせいで転んだ」という理屈は、完全に合理的なのである。その上、この説は、「どうしてほかならぬこの自分が転ばざるを得なかったのか」についても、完全に答えを与えてくれる!

 

……ある意味では、昔の人も十分に、合理的な思考のできる人たちであったのだ。彼らは決して、馬鹿などではなかった。

大事なのは、昔と今とで、「思考の枠組み」が根本的に変化してしまった、ということなのだ。だから、地頭の良さは変わっていなくても、我々にとって昔の人は馬鹿に見えるようになってしまったのである。

昔の人を馬鹿呼ばわりするのは、したがってもう止めにしようではないか。あんまり馬鹿にすると、今度は我々が未来人から馬鹿にされてしまうかもしれないのだから。

 

針の上で天使は何人踊れるか―幻想と理性の中世・ルネサンス

針の上で天使は何人踊れるか―幻想と理性の中世・ルネサンス