Furusawa Keisuke's blog

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書評『三島由紀夫が死んだ日』『続・三島由紀夫が死んだ日』

三島由紀夫が割腹自殺した日、当時15歳だった僕の母は泣いたらしい。

ファンだったから?

そうではない。この現代にわざわざ切腹などという前近代的な死に方を選択し、さらには介錯までされた、という事実がショックだったからだという。

 

本日ご紹介する『三島由紀夫が死んだ日』および『続・三島由紀夫が死んだ日』(いずれも実業之日本社はタイトルのとおり、三島由紀夫が死んだ日のことを、著名な書き手たちが振り返る、という内容の本である。

編者は、フランス文学者の中条省平さん。

 

まずは『三島由紀夫が死んだ日』から。

本著に寄稿しているのは、瀬戸内寂聴さん、呉智英さんなど、著名な書き手ばかりだ。

そのなかには猪瀬直樹さんも含まれるのだが、僕に言わせると猪瀬さんのは、ちとイマイチ(w)。ノンフィクション作家なので当然きれいにまとまっているのだが、むしろノンフィクションとしてあまりに体裁よく整いすぎているがゆえに、かえって他の論者の寄稿文にある“生々しさ”が足りないような気がするのだ。もっと、事件当日に生きた人だからこそ書くことのできる、生の体験談を聞いてみたかった。

もちろん、どの書き手たちの文章も面白い。呉智英さんの「本気」(=大きな物語の時代のおわり、という論考も面白かったが、個人的に一番面白いと思ったのは、鹿島茂さんの論考だ。

三島は、全共闘の左翼学生たちと公開討論会を開くなど、意外と彼らと“仲が良かった”。それはどうしてか。

鹿島さんによれば、それは三島がなんとマゾヒストだったからだという。マゾヒストは、みずからをイジめてくれるサディストを必要としている。マゾヒスト三島は、それゆえに、極左暴力集団というサディストを求めた、と鹿島さんは言うのだ。

マゾヒストの願望は、しかしながら成就することはなかった。全共闘は1969年の東大安田講堂落城をもって鎮静化、サディストたちはこの日本から消えてしまったのである。かくなるうえは、自分で自分を縛ること(=天皇崇拝)によって快楽を得るしかない。だがそれにはどうしても滑稽性がつきまとう。喜劇を悲劇に転化するには、人の死が必要だ。かくして起こったのが三島事件だった、というのが鹿島さんの見立てである。

なんと乱暴な、と思われるかもしれないが、僕はこの解釈は、案外的を射ているなと思った。

三島がマゾヒストだということは彼の自伝的小説『仮面の告白』から明らかだし、なにより右派というのは本質的にマゾヒストなのだ。

なぜか。右派というのはみずからを臣民(subject)と位置づけ、君主のもとに自らを従属(be subject to)させることに快感を覚える種族に他ならないからである。

実のところ僕自身もマゾであるから(!)、マゾヒスト三島に共感を覚えるのかもしれない。

 

三島由紀夫が死んだ日 あの日何が終わり 何が始まったのか

三島由紀夫が死んだ日 あの日何が終わり 何が始まったのか

 

 

続いて『続・三島由紀夫が死んだ日』に入ろう。

前作は評判が良かったようで、同じ年のうちに、さらに別の評者たちに「三島由紀夫が死んだ日」について書かせた続編が刊行されたのである。

こちらでは、西武セゾングループ元代表で「感性の経営」などで知られる辻井喬(本名:堤清二さんなどが寄稿している。

なかでも面白かったのが、映画監督の行定勲さん。彼は2005年に三島の『豊饒の海』第一部『春の雪』を映画化した。僕も見たことがある。美しい絵作りに定評のある行定さんらしく、映像がまるで絵画のようであり、かつ当時の華族社会がリアルに再現されていて、感心した。本著を読むと、やはり行定さんが当時の世界観を再現するために、スタッフらと念入りに議論を重ねていたことが分かった。

面白かったのが、撮影を中国出身の人物に任せたという話。外国の人のほうがかえって現代日本に汚染されておらず、したがって当時(大正時代)の日本を再現できたというのだ。なるほどな、と思った。

 

さて、書き手の人たちの論考をいろいろと読んだことだし、僕もここでひとつ、三島の自死の原因について考えてみるとしようか。

僕はやはり、鹿島さんのように「エロス説」を推したい(w)。単純に、三島は切腹したくて切腹したのではないか。現代にも切腹マニアは一定数いる。三島もそんな切腹マニアのひとりだった、と考えるのが一番自然かつ“笑える”推論だと思う。

もちろん、原因はひとつだけではないだろう。他にも、「日本の将来を憂いたから」という右翼的な解答も、当然考えられる。筋肉マニアだった三島のこと、「(肉体的に)老いたくなかったから」という理由もあっただろう。単純に、「(作家としての)才能が枯渇したから」というのもあっただろう。

「……え?」と皆さん思われるかもしれないが、こういう、小説家としてはごく普通の悩みも、三島さんにはあったと思われる。たとえば全盛期の『金閣寺』と遺作の『天人五衰』を比較してみてほしい。文学的想像力が枯渇しつつあったのが、素人目にも明らかに分かるはずだ。

これらの要因すべてが混ざり合い、一種のコンプレックス(複合体)を形成して、三島を自死に追いやったのだろう。おそらく、彼自身もどれが原因かは絞りきれなかったのではないか。かりにイタコで彼の霊を呼び出したとしても(w)、イタコは「分からない」の一点張りではないか、と思われる。

 

 

どうしても気になることを、最後にひとつ、書かせてほしい。

本著に寄稿している論者たちはたいてい「日本はもう成長しない」論者でもある。

三島の遺した有名な言葉のひとつに、「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国」(=戦後日本)というものがあるが、彼らはこぞってこの言葉を、自らの言説を正当化するものとして利用したがる。

……僕には違和感がある。

今の日本は、もはや経済大国ですらない。

本著を読んでいて、戦後日本の一番の問題は、本著の論者たちが言うような「経済至上主義に走ったから」ではなく、むしろその逆、「経済(学)のことをあまりに蔑ろにしすぎた」ことではなかったか――そう強く思えたのだった。

 

「この際、無機質でもからっぽでもいいじゃないか。ニュートラルでも中間色でも抜け目がなくてもいいじゃないか。とりあえず、まずは富裕な経済大国を目指そうよ」

……僕は、こう言いたい。