Furusawa Keisuke's blog

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書評『はじめての福島学』

僕はこれまで、脱原発の立場を支持してきた。脱原発デモにも参加したことがある。

ところが今は、原発容認派へと転じた。やはり原発がなければ電力が不足してしまう。それで一番困るのはほかならぬ庶民だということが、よく分かった。それに、一時期さかんに宣伝された太陽光発電が、結局は山林を切り開くことで自然を破壊し、また大雨など想定外の自然災害にも弱いこと、さらには雨に流されたパネルが漏電というかたちで周囲の人間に被害を与えうることまでが分かり、結局「人にも自然にも優しい夢のエネルギー」でも何でもなかったことが明らかになった、という理由も大きい。

それともうひとつ、脱原発派の連中に、あまりに嫌気がさしたからだ。

いつだって「フクシマは放射能で汚染されている!」と大騒ぎ。当人らは善意でやっているつもりなのだろうが、そうした言動こそがかえって福島への差別の強化につながっているということに、彼らは気づこうともしない。

勘の鋭い人は気づいたかもしれないが、「フクシマ」とあえてカタカナで表記するのもポイントだ。「ヒロシマ」と同じで、世界にアピールすべき被害者の土地、という認識なのである。

だが、福島は現に人々が住んでいる生活の地なのである。それをカタカナで表記してしまうと、そうした「生活の地としての福島」を忘却させ、かの地をただの「被災の地、フクシマ」としてのみ人々に認識させてしまうおそれがある。

僕は、脱原発派とは距離を置くことにした。

 

前置きが長くなったが、本日取り上げる本は『はじめての福島学イースト・プレスである。……そう、カタカナの『フクシマ学』ではないところが本著のポイントだ。

著者は、社会学者の開沼博さん。本ブログでは以前にも、開沼さんの著作を取り上げたことがある1984年生と僕と同世代なので勝手ながら応援している(w)。なお、開沼さん自身、福島県の出身である。

 

本著は、脱原発派の脳内のみに存在する「被災地・フクシマ」ではない、人々の生活の地としてのリアルの「福島」を、さまざまな数字のデータを挙げながら浮き彫りにしていく。

知らなかったことが、山ほどある。目からウロコの連続だ。

たとえば、福島の人口は減ったか否か。たしかに減りはしたが、それは福島に限らずどこの地方でも同じことだという。むしろ、秋田など他の東北諸県と比べたら福島の人口減少率は小さい、とすら開沼さんは述べている。

このほかにも、郡山など都市部に限っていえば、むしろ人口は増えていること、それは福島に限った話ではなく、日本の総人口の減少が進めばどこの地方でも、地方都市への人口集中が進む――そうした事態に他県に先駆けて突入しているのが福島なのだ、という話はとても興味深かった。

チェルノブイリと福島とは異なる、という話も勉強になった。

山がちの福島と違い、チェルノブイリは平原であるため、遮るものが何もない。住民たちも自給自足の生活をしていたから、汚染した野菜などを食べてしまった。その点、福島の人々は山間で狩猟などをやって生活しているわずかな人々を除けば、自給自足の生活をしているわけではもちろんない。

それにチェルノブイリの事故当時、ソ連の経済状況は極めて悪かった。そのせいで住民への適切な対処が遅れたのであり、その点も福島とは異なるのである。

チェルノブイリは将来のフクシマの姿」という、脱原発派が好む言い回しは、したがって問題を多く含んでいるのである。

 

開沼さんの文章の特徴として、サヨクを徹底的に皮肉るという点が挙げられる。

彼の話はたしかに「あるあるwwww」ネタばかりで、サヨクの生態を少なからず知っている僕のような人間には、なんとも笑えるのである(w

たとえば、こんなのはどうだろう。

≪自分の投書からの強い思い込みがある人は、それを揺るがすような現実を示されると非合理的な強い怒りの感情を示します。

「そんな人、本当にいるの?」と思った方、集まっているところに集まっています。例えば、Twitterで「放射能」とか「被曝回避」を検索してみましょう。それでアカウント名のところやプロフィールに「脱原発・被曝回避」とか「3・11以降目覚めました」的なことが書いてある人のところを見に行くと、3分に1回程度ずっと「放射能」に関するニュース、とりわけ「放射能が危ない」という情報を流しているような方が一定数います。≫(102頁)

これなどはまさに「あるあるwwwwww」といった感じだ(w

こうした文章の特徴は誰に似ているかと言うと、『応仁の乱』で一躍ブレイクした歴史学者・呉座勇一さん(※1)と似ているのである。

両人とも、右翼というほどではないが、既存のサヨクをチクチクと皮肉るスタイル――それが共通しているのである。サヨクにとってはなんとも後味が悪かろうが、僕のようにサヨクが嫌で嫌でしょうがないという人間にとっては、「よくぞ言ってくれました!」と読了後、必ずスカッとするのである(w

とくに本著終章では、有難迷惑な脱原発サヨクの12の特徴(※2)がおびただしく列挙されており、“開沼節”全開となっている。よっ、いいぞ、開沼さんっ!(ww

 

※1 呉座さんの本のなかでも開沼さんの名前がたびたび言及されている。やっぱり当人たちも意識しているらしい

※2 この12カ条から分かるのは、彼ら脱原発サヨクは実のところ福島の人たちのことを想っていない、正確に言えば「フクシマの人たちのことを想っている俺」にナルシスティックに陶酔しているだけ、ということだ。

 

最後にちょっとだけ、僕の個人的な話を。

福島には、以前、鉄道で行ったことがある。僕は鉄道が好きで、よく鉄道旅に出ているから、今までに福島の浜通りも通ったし、中通りも通った。会津にも行った。

2005年夏に旅行した際は、常磐線をひたすら北上して仙台まで行った。このときはちょうど福島第一原発の目の前を通過したはずなのだが、あいにく夜間だったため、原発の存在に気づくことはなかった。その6年後、あんな惨事になってしまうとは、当時は夢にも思っていなかった。

また、福島に行きたいな、と思う。フクシマではなく、人々の生活の地としての、福島に。

 

はじめての福島学

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