Furusawa Keisuke's blog

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書評『思想の英雄たち』

本日ご紹介する本は、このブログでもたびたび著作を取り上げている、評論家・西部邁さん(1939-2018)の『思想の英雄たち 保守の源流をたずねて』角川春樹事務所)だ。

 

以前紹介した『日本の保守思想』では、タイトル通り日本の思想家たちが取り上げられていたが、本著で登場するのは、西洋の思想家たちである。

サブタイトルに「保守の源流をたずねて」とあるくらいだから、当然保守主義の思想家たちが出てくるのだろう、と皆さん思うだろう?

実際、トップバッターとしてバークが登場するあたりは、「よっ、御大、待ってました!」という感じだし(w)オルテガハイエクが登場するのも納得できる――もっともハイエク本人は自分は保守主義者じゃないと言っていたらしいけれど。西部先生のお気に入りであるらしいチェスタトンやオークショットが出てくるのも、頷ける。

だが、キルケゴールの名前までもが出てくると、さすがに読者の皆さんも困惑するのではないか。

「え、キルケゴール? たしか、実存主義の先駆けって言われている哲学者でしょ? てか、あの人保守だったの???」と。

あるいはホイジンガヤスパース、さらにはヴィトゲンシュタインの名前まで出てくるにおよんで、皆さんいよいよ頭の中が「?????」状態になるのではなかろうか(w

 

どうして彼ら、保守とはいいがたい思想家たちまで登場するのか。

それには、西部さんのライフワークとも言うべき、「大衆との戦い」というテーマが関係している。上に挙げた思想家たちは、いずれも大衆社会の到来を予知し、それに警鐘を鳴らした思想家である(と西部さんは見ている)のだ。

 

……率直に言って、西部さんがそこまで大衆を忌み嫌う理由が、僕にはいまいちよく分からない。

たしかに僕も、以前にも書いたように、マスコミの偏向報道にコロリと騙され、ポピュリスト政治家に嬉々として投票する大衆への不信感が、近年増しつつある。

それでも僕は、西部さんよりかはむしろ、大衆を信頼する吉本隆明さん、あるいは渡辺京二さんのスタンスのほうに近いのだ。

それは、西部さんないし彼のフォロワーたちがあまりに守旧的すぎるから、という理由だけでは必ずしもない。意地悪な言い方になるが、彼らは単に大衆を見下して優越感に浸りたいだけじゃないのか、「愚民どもに靡かない孤高のインテリとしての俺」にナルシスティックに陶酔したいだけじゃないのか、という疑念が、どうしてもぬぐい切れないのである。

要は、大衆はべつに好きでもないけど、それ以上に大衆が嫌いだという人間が嫌いなのだ。

 

とはいうものの、それでもやはり僕は西部さんに、どこか心惹かれるところがあるのである。

それは、本著のたとえばキルケゴールの章で明らかにされているような、西部さんの個人的な体験談が関係しているのだろう。

キルケゴールは、厳格な父のもとで育った。少年時代の西部さんも同様だったようで、ときには父に折檻されることもあったようだ。キルケゴールは北欧デンマークの出身。西部さんもまた、北国・北海道に生まれ育った。どちらも冬の厳しい地域だ。

これらの共通点から、西部さんはキルケゴール(ないしその父親)に親近感を抱いたようだ。

ちと長くなるが、個人的に強く印象に残った箇所なので、以下に引用させてもらうとしよう。

 キルケゴールを読んでいて私の記憶の底から浮かび上ったのは次のことである。北海道のある村の小学校の卒業式の日、級友たちが担任の先生を囲んで別離の感涙にむせんでいるという光景から逃れるべく、村外れにあるトド松の疎林に入り込み、そこに吹き込み吹き抜けていく雪まじりの寒風のなかで、そうだ、俺はこれから独りになるしかないんだ、先生に抱きついたり級友と抱き合ったりしている場合ではないんだ、と今から思えば生意気な決意をし、自分の決意に勝手に興奮していた、それが私の十二歳になったときの姿である。その種の北方における私の体験はむしろキルケゴールの父親のものに近いのかもしれない。そうだとしても、人間にたいして敵意をもっているとしかいいようのない北方の自然のなかではしばしば狂熱が精神の暖炉となる、という経緯を私なりに垣間見することができたわけである。≫(45-46頁)

『実存と保守』もそうだったが、僕は、西部さんのこういう実存に関する話が好きなのだ。先ほども言ったとおり、彼が口を酸っぱくして言う大衆批判には、僕はあまり関心がない。それよりも彼の実存にこそ興味があるのである。

10代のころまで重度の吃音(どもり)だったという彼は、きっと孤独であったに違いない。僕とて、どもりというほどではないが、喋るのがあまり得意ではなく、そのせいか比較的孤独な半生を過ごしてきた。けっして、楽しい半生などではなかった。

僕は、温暖な静岡県に生まれ育った。西部さんの過ごした北海道とは、気候がまったく異なる。上に引用した西部さんの言葉をもじるなら、静岡の自然はむしろ人間にたいして好意すらもっていたように思う。

それでも僕はしばしば、自分は独りなんだ、と思ったし、狂熱を精神の暖炉にもしていた。

僕が西部さんになんとなく惹かれるのは、そうしたことが関係しているのかもしれない。

 

西部邁という人物について、ますます知りたくなってきた。

 

思想の英雄たち―保守の源流をたずねて (角川春樹事務所 ハルキ文庫)

思想の英雄たち―保守の源流をたずねて (角川春樹事務所 ハルキ文庫)