Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『地の記憶をあるく』

本日は、おしさしぶり、我らが“マツケン”の登場である。

といっても、本ブログの読者の皆さんならもちろんお分かりだろうが(w)、このブログで「マツケン」と言ったら、それは松平健でも松山ケンイチでもなく、評論家の松本健一さん(1946‐2014)のことである。

本日ご紹介する本は、そんな“マツケン”さんの『地の記憶をあるく』中央公論新社だ。「出雲・近江篇」「平戸・長崎篇」そして「盛岡・山陽道篇」の全三冊。表紙の色はそれぞれ赤、緑、青となっている。ポケモンかいな(w

 

まずは「出雲・近江篇」から見ていこう。

松本さんは、ここでは島根県を歩いている。島根県には、僕も5年前に行ったことがある。寝台特急に乗って、出雲大社に参拝に行ったのだ。とても風景の綺麗なところだな、と感心した。宍道湖があり、常に水の存在を意識させる場所なのだ。

松本さんも、松江の街を歩きながら、水の存在感を実感したようだ。

……紙幅の都合上、あまりダラダラ書くわけにもいかないので、ここから先は個人的に面白いと思った箇所をいくつか挙げていくこととしよう。

松本さんは、出雲大社を訪れる。この神社は、はっきり言えば、ヤマト王権に負けてしまった神様をまつっているところである。つまりは、「敗者の地」なのだ。松本さんは、出雲が、というよりも日本という国そのものが、敗者にやさしかった、あるいは勝敗をはっきりさせるのを避けてきたと指摘している。

たとえば、相撲の番付。横綱が東西に分かれているが、東西どちらが強いのかは曖昧なままである。あえて曖昧なままにとどめることで、勝者と敗者とが峻別されるのを避けているのだ。

今の日本は、しかしながら、メディアの報道にしても、SNS上でのネットリンチにしても、明確に勝者と敗者を峻別したがる傾向が強いのではないだろうか。かつてこの国が持っていた敗者への寛容さが失われているように思えてならない。

 

近江篇も面白い。意外と知られていない事実だが、比叡山京都府ではなく滋賀県にあるのである。そして、比叡山、正確にいえば鞍馬寺といえば、義経伝説だ。

松本さんは、美少年の義経が大男の弁慶を屈服させたという伝説に着目する。

≪この牛若丸と弁慶の物語で、わたしが心惹かれるのは、「美少年」の牛若丸が「鬼」の弁慶に出会い勝負で勝つとき、髪を少女のごとく結い、薄絹を頭にかぶっていたことである。これは、牛若丸が女装していたことを意味するのではないか。

(中略)

――力強い大男を打ち負かすために、若きヒーローは女装して、いちじ女の力を借りてこなければならない。つまり、真に強い男というのは、日本ではマッチョではなく、女装ができるような美形でなければならないのだ。≫(136‐137頁)

松本さんはさらに踏み込んで、天皇についても以下のように言及している。

天皇それじしんが女性格である、というのが、わたしの日本文化論における一つの要諦にほかならない。天皇は宮中ではいざ知らず、臣下の草莽と会うばあい、かならず御簾のむこう側にいて、顔をみせない。

(中略)

天皇は御簾のむこう側に、いわば高貴なる女人として在すのである。男どもはこの高貴なる女人のために一生懸命、ひたいに汗して働き、ついには死んでゆく、というのが、勤皇の精神の基本構造である。それゆえ、勤皇家や幕末の尊王攘夷の志士は男ばかりで、女はほとんど全く現われないのだ。

 ついでにいえば、「天皇ヲ奉ジテ」蹶起した二・二六事件にも、「文化概念」としての天皇を守ろうとした三島由紀夫楯の会にも、女性は姿をあらわさない。これは、天皇が女性格であることを考えれば、当然のことである。≫(137‐138頁)

天皇が女性格であるという松本さんの見解に、僕も強く同意したい。ゆえに尊皇家は皆、男性であったのだ――もっとも、レズビアンの女性尊皇家というのは考えられないのか、という疑問が個人的には残るのだがw(;^ω^)

もっとも、このアイデア三島由紀夫にまで適用するのは、実をいうと僕には疑問なのである。三島の場合、むしろ天皇が男であることが重要な意味を持っていた、と僕は考えているからだ――それには、三島のある種のゲイ的な感性が関係している。

 

 

続いて、「平戸・長崎篇」へ。

といっても、この巻で僕が関心を持ったのは実は長崎ではなく、関東の足利学校だった。

長崎の話なのにどうして足利学校が出てくるのかって? それは、長崎を訪れたヨーロッパの宣教師たちが当時最もライバル視していた日本の学院(アカデミー)が、この足利学校であったからだ。

足利学校では、仏教や儒教のほか、医学や易の研究までもが行われていたという。今でいうところの、総合大学であったのだ。

僕はこれまで足利学校にはあまり興味がなかったのだけれど――「っていうか、足利学校って、何?」状態だったwww――本巻を読んでから興味がわいてきた。

 

このほか面白かったのが、江戸期の語学の天才・司馬凌海の話だ。

一般に日本人は語学が不得意とされるが、この凌海に限っては、オランダ語、英語、ドイツ語、それに中国語が得意であったという。このほかにも、フランス語、ロシア語、さらにはギリシャ語、ラテン語などの古典語も解せたというのだから、鎖国のこの時代でこの語学力は、常人離れしている。

凌海は、おまけに発音までうまかったというのだから驚いてしまう。松本さんは、凌海とお雇い外国人・ミュルレルとの、以下のようなエピソードを紹介している。

≪あるとき、ミュルレルが凌海のドイツ語の才をほめて問うた。「あなたはドイツのどこに留学したのか」、と。凌海の答えは、「外国にはどこにも行ったことがありません」、というものだった。≫(216頁)

 

地の記憶をあるく―平戸・長崎篇

地の記憶をあるく―平戸・長崎篇

 

 

それではラスト、「盛岡・山陽道篇」である。

といっても、個人的に面白いと思ったのは山陽道篇のほうなので、盛岡篇のほうはとばすとしよう。岩手県民の皆さん、ごめんなさいねw(;^ω^)

山陽道篇の主人公とも言えるのが、高山彦九郎頼山陽といった、江戸期の尊皇思想家たちだ。とくに高山は、松本さんと同じく上州人(今でいう群馬県民)であるので、松本さんとしても思い入れがあるようだ――付け加えれば、北関東人である松本さんは、子供のころに上述の足利学校にも行ったことがあるらしい

高山は18歳のころ、上京――江戸に行くことではない。当時の上京とは、京に行くことだ――して御所の前で拝礼したという。

とにかく天皇が大好きで(w)、歴代天皇の諱(本名)や陵墓の位置まで暗記していたという。朝廷が幕府に実権を奪われた話になると涙を流したとすら伝えられる。うむ、なかなかの変わり者だ(w

「尊皇家」といえば聞こえはいいが、まぁようするに「天皇オタク」だということである。歴代天皇を延々暗記しつづけるところなどは、UC宇宙世紀の年表を延々暗記しつづけるガノタガンダムオタク)にどことなく似ている。

頼山陽もまた、当時の基準からすれば、少々、いやかなりの変わり者であったようだ。どうしても学問がしたいというので、なんと脱藩してしまったのである。幕末ならまだしも、当時、脱藩といえば大変な重罪である。それでも粘り強く「学問がしたい!」と訴えつづけているうちに、「あぁ、こいつには城勤め(=サラリーマン生活)は無理だ」と彼の父・頼春水は判断、かくして彼はようやく学者としての道を歩めるようになったのである。

僕も学問が好きで、世間一般でいうところの「真っ当な人生」なんぞ歩めなくてもべつに構わないと思っている人間なので、頼山陽の生き方には個人的に親近感を覚えてしまう。

高山彦九郎にしろ、頼山陽にしろ、率直に言って、変わり者であった。だが変わり者だったからこそ、彼らは新時代を切り開くことができたのである。常識人には、新時代を切り開くことなどできないのだ。

 

地の記憶をあるく―盛岡・山陽道篇

地の記憶をあるく―盛岡・山陽道篇

 

 

さあ、ここまで『地の記憶をあるく』全三冊を概観してきた。

全編を通じて松本さんは、その土地をくまなく歩いて回り、街の盛り場がどのように変遷していったかという点や、その土地の地理にも強い関心を寄せている。

……皆さん、なにか思い出さないだろうか?

そう、『ブラタモリ』である!(w

なんと、タモリさんに先駆けること約10年、松本さんはすでに『ブラタモリ』をやっていたのである! いや、『ブラマツケン』というべきか(w