Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『宗教に関心がなければいけないのか』

比較文学者の小谷野敦さんは、ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」(通称:猫猫ブログ)の筆者としても知られ、ネット上では「猫猫先生」の愛称でも親しまれている。

本日取り上げるのは、そんな猫猫先生の著作『宗教に関心がなければいけないのか』筑摩書房である。

 

タイトルからも分かるとおり、宗教に関する著作だ。

本著のなかで小谷野さんは、自らの宗教遍歴、現代日本社会における宗教、文学と宗教の関わりなどのテーマについて縦横無尽に語っている。

 

これは本著に限らず、小谷野さんの著書では毎回言えることなのだが、猫猫先生、とにかく博識である(w

一冊のなかに、おそろしいほどに知識がぎゅーぎゅーに詰められているのだ。いったい、この人の頭の中はどうなっているのだろう?w(;^ω^)

どのページをめくっても、関連する小説や映画の話が引き合いに出されている。この人は本当に、まるで息を吐くようにこういうウンチク話を次から次へと語ってくれるのだ。

僕はあいにく文学にはあまり明るくないので初めてタイトルを聞く本ばかりだが、とても勉強になった。これらの本を、さっそく読んでみたいと思う。映画のほうはわりと見ているつもりだったが、これまた初めて聞くタイトルの映画が少なくなかった。こちらも、さっそく観てみようと思っている。いやぁ、猫猫先生、情報ありがとうございます(w

 

猫猫先生はまた、大の毒舌家でもある(;^_^A

しかしその毒舌も、いい方向へと作用すれば、鋭いツッコミとなる。本著でも、彼のツッコミは実に冴えている。

たとえば、旧約聖書『創世記』のカインとアベルの話。兄カインは弟アベルを殺してしまったことで、父アダムのもとを去ることを余儀なくされるのだが、旧約聖書は、カインが移住先にて新たに妻を見つけた、と淡々と記述している。

いやいやちょっと待て! 神ははじめにアダムとイヴをつくって、そこから人類が始まったのだから、カインが移住先で見つけたというこの嫁さんは、いったいどこから湧いてきたというのか?――小谷野さんはこう突いてくるのである。

この「カインの嫁」問題、実を言うと僕も、中学時代にはじめて聖書を読んだとき、まったく同様の疑問を抱いたことがあったので、本著を読んでいて「そう、そこだよ!」と思わず声に出して共感してしまったのだった(w

 

本著のテーマを一言でまとめるとするなら

「あなた、コーランではなく『クルアーン』と発音したら理解が深まった、とか思っていませんか?」

という一言。これに尽きるだろう。

実を言うと、これは小谷野さんの言葉ではない。池内恵さんというイスラーム思想史学者の言葉である。この言葉を、小谷野さんはとても評価しているのだ。なるほど、と僕も思った。

「これからは欧米訛りのコーランではなく、より原音に忠実な『クルアーン』と発音しましょう」――そういう偉い学者さんたちからの“ご神託”に、我々一般読者は「へへぇ~!」となかば盲目的に付き従ってきた。内心では「コーランのままで何がいけないのだろう」と不思議に思いつつも、「まぁ権威のおっしゃることだし……」と自らに納得させてきた。

だが小谷野さんはここで、そうした「知的権威」に盲従するのはよくない、と言っているのだ。

単に言うだけではなく、それをちゃんと実践しているのが小谷野さんの凄みだろう。彼はこうした権威に、まったく追随しない。先ほどの「カインの嫁」問題がまさにそれだ。聖書のなかに明らかに矛盾した箇所があっても、普通の人は「……まぁ、俺の読み方が間違っているんだろうな」と勝手に納得してしまう。だが小谷野さんは、堂々と「聖書のほうが間違っている!」と糾弾するのである。

これこそが、猫猫先生の魅力なのだ。

 

それにしても小谷野さんは、終始ハードボイルドである。

以前、評論家の小浜逸郎さんが著書のなかで小谷野さんのことを「カッコいい」と評価していたのを読んだことがあるが、なるほどたしかに、世の中に対してつねに斜に構えた彼のスタンスは――これは呉智英さんの影響を受けたもののようだ――とてもカッコいいのだ。

そもそも「宗教に関心がなければいけないのか」などというタイトルの本を出せる時点で、カッコいいのである(w

宗教に関心がないのであれば、それでもべつにかまわない。というか、宗教に関心を持たずに生きていけるのであれば、それに越したことはない、とすら僕は思っている。

「宗教に関心を持たなければいけないのか」などと自問自答する以前に、僕のようなダメ人間はいやおうなく宗教へとすがってしまうものなのである(;^_^A

文学、映画について縦横無尽に論じ、果ては「宗教に関心がなければいけないのか」などと他人事のように語ってしまえる猫猫先生のことが、僕はとてもうらやましい。