Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『キリスト教は役に立つか』

本ブログでは以前、『禅と福音』という対談本を取り上げたことがある。

本ブログではおなじみの曹洞宗僧侶・南直哉(みなみ・じきさい)さんと、カトリックの司祭である来住英俊(きし・ひでとし)さんによる対談本であった。

僕はこの本を通じて来住さんという人を初めて知った。とても面白い人だな、と思った。

 

本日ご紹介する本は、そんな来住さんの単著『キリスト教は役に立つか』(新潮社)である。

来住さんの他の著作と同様、本著も平易な話し言葉で書かれているので、とても読みやすい。それでいて、内容はなんとも深いのだ。こういう本が、僕は大好きだ。

 

さて、本著を読んで分かったこと。それは、神(=イエスと人とは愛によって結ばれており、まるで男女が付き合うかのように神と人とが付き合える、ということだ。

僕は、社会学者・小室直樹さんの『日本人のための宗教原論』という本を読んだことがある。その本のなかで小室さんは、キリスト教というのは一般には愛の宗教、ヒューマニズムの宗教だと思われているが、実は違う、本当はキリスト教は反ヒューマニズムの宗教なのだ、その根本には予定説があり、人間は神のまえではまったくの無力なのだと考えるのがキリスト教である……といった趣旨のことを書いていた。

実は上掲の『禅と福音』のなかで、来住さんは小室さんのこのようなキリスト教理解は誤りである、と言って批判していたのだった。

来住さんに言わせれば、人間と神との関係はもっと愛に基づいたものである。キリスト者の人生とは、イエスとともに歩むことであり、まるで夫婦が長年連れ添うかのように、イエスと連れ添うのである。こうした生き方によって、それまで自分中心だった世界観が、次第にイエス中心の世界観へと改められるのだという。

へぇー、そんなものなのか、と思った。もっとも、これにはカトリックプロテスタントの違いが関係しているのかもしれない。上述のとおり来住さんはカトリックの司祭であり、小室さんは『宗教原論』のなかでもっぱらプロテスタントの教義について語っていたからだ。

 

来住さんはまた、けっこう政治的な発言もする。例えば以下の箇所など、どうだろう。

 ≪明治期から現在に至るまで、日本の政治シーンで「立憲主義」「立憲政治」という言葉が事あるごとに使われてきました。それに関わる西欧政治思想史についての啓蒙活動もずいぶんなされてきました。しかし、日本人の中にそれなりに形成されてきた経験には、この言葉と対応するものはほとんどなかったと思います。だから、ブームが過ぎると、残る影響はきわめて小さい。≫(167頁)

立憲ナントカ党の枝〇党首が聞いたら、言葉に詰まってしまいそうな箇所だ(w

あるいは、こんな箇所はどうだろう。

≪長い間議論が続けられている問題では、双方が相手のことを「なんでコイツはこんな簡単なことがわからないのか」と憤慨したり、軽蔑したりすることがあります。日本の政治なら、安全保障問題がその一つでしょう。(中略)両陣営ともそれぞれ知性のある人を多数擁しているのですから、ここまでかみ合わないのは何かがおかしい。

 何か表明されていない前提があるのではないかと考えるのが生産的です。そうすれば議論が一歩前に進むかもしれない。安全保障問題の場合は、日本の政府、また民衆が、戦争をコントロールする能力を持っているかどうかの前提が大きく違っているのではないでしょうか。≫(106‐107頁)

とても現実的かつ生産的な意見だ。来住さんはこのように、「保守」といっては言いすぎだろうが、いわゆる日本型リベラルからはやや距離をおいた政治的発言が多い。『禅と福音』のなかでも、死刑廃止論者に対して強い違和感を表明していた。

このような発言のできる来住さんは、日本のキリスト者の中では比較的珍しい。日本のキリスト教会はわりとサヨクっぽいことを言う場合が多いからだ。

 

来住さんはとても教養豊かであり、その関心は文学やサブカルチャーにまで及ぶ。

文学のほうでは、彼はドストエフスキーに言及しており、かの有名な『カラマーゾフの兄弟』の話も取り上げている。ただし同作のネタバレまでしてしまうのはいただけない(w)。『カラマーゾフの兄弟』は思想小説のみならず、ミステリー小説としての性格も有しているからだ。言うまでもなく、ミステリーにネタバレは厳禁である(w

サブカルチャーとしては、なんとラノベ、それも「涼宮ハルヒ」シリーズや『イリヤの空、UFOの夏』にまで言及するのだからお笑いだ(w

このほかにも、来住さんはアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』にも言及している。どうやら来住さん、テレビ版だけでなく旧劇場版、さらには新劇場版まで見ているようだから、なかなかの強者である(;^ω^)

 

そんな来住さんがキリスト教の道に入ったのは、意外にも遅く、30歳ころのことだという。今の僕が33歳――イエスが処刑された歳――だから、年齢的にはさほど違わないということになる。

来住さんは東大法学部(!)を卒業後、日立製作所(!)に入社した。傍目にはうらやましいエリート人生に見えるが、それでは満ち足りないものを彼は感じていたようだ。

あるとき、旅行で訪れたフィレンツェにて、一般の市民がミサに参加しているのを見て彼は衝撃を受け、帰国後、キリスト教の教会に通うようになったのだという。そしてついに洗礼を受け、修道院に入り、キリスト者としての道を歩んで、今日に至っているのだ。

上述のとおり、来住さんはこれまでの人生を、イエスとともに歩んできたのだという。これから先も、彼は死ぬまでイエスとともに歩みつづけるのだろう。

そんな来住さんは、傍目にはとても幸せそうに見える。一流企業をけって修道院に入る――それが、彼の人生における“正解”だったのだろう。

……僕も今度、近所の教会を覗いてみようかな。

 

キリスト教は役に立つか (新潮選書)

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