Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『プチャーチン』

僕の地元・静岡県沼津市の南に、戸田(へだ)という小さな港町がある。

かつては静岡県戸田村という独立した自治体だったが、いわゆる平成の大合併にともないお隣の沼津市編入され、以降、沼津市戸田として今日に至っている。

僕は昔、子供のころにこの戸田を訪れたことがある。当時はまだ戸田村であった。沼津港から陸路ではなくフェリーに乗って行ったのである。海がとても綺麗だったのをよく覚えている。

そんな戸田にゆかりのある偉人が、19世紀ロシアの海軍軍人・プチャーチン(1803‐1883)である。

僕は彼の名前こそ知っていたものの、それ以外の業績などは、恥ずかしながらあまり知らなかった。最近になって、我が郷土・沼津市の歴史を勉強し直そうと思い立ち、いい機会だからこの際、プチャーチンについても勉強してみよう、という気になったのである。

 

そんなわけで、本日ご紹介する本は、『プチャーチン 日本人が一番好きなロシア人』新人物往来社である。著者は、歴史学者の白石仁章さん。

 

19世紀、プチャーチンはかのペリーとほぼ同じ時期に日本に来航、幕府に対し条約締結を求めた。

両者の態度は、対照的であった。ペリーは、条約締結を断ったら戦争になると脅し、幕府に降伏用の白旗まで渡したと伝えられているが――この話については評論家の松本健一さんが自著のなかで詳しく書いている――プチャーチンは終始、日本と友好的に接した。

こうした態度の違いには、日本通として知られたドイツ人科学者・シーボルトからの助言が関係していた、と白石さんは見ているようだ。

 

友好的な姿勢が功を奏してか、幕府との交渉開始にまで無事こぎつけたプチャーチンであったが、ここで非運に見舞われた。

なんと津波被害により、旗艦・ディアナ号が大破してしまったのだ。

修理のため、伊豆国戸田村まで移動させることになったが、その途上、これまた運悪く大風に遭い、ディアナ号は沈没してしまった――このとき、周辺に住む日本人は勇敢にもロシアの船員たちを救助したという

やむなく新しい船を建造することとなり、その間、プチャーチン一行は戸田村に滞在することとなった。こうして、プチャーチンと戸田とのあいだに縁が生まれたのである。

 

戸田村の地形は、プチャーチンたちにとって、とても好都合なものであった。

当時、ロシアはクリミア戦争のさなかにあったため、英仏とは敵対関係にあった。ロシア軍人であるプチャーチンからしてみれば、敵国・英仏に一行の姿をさらすわけにはいかなかったのである。

その点、戸田村は、地図を見ると分かるが、岬が突き出て湾を囲っているような形になっている。そのため、湾のなかにさえ籠っていれば、英仏の艦船に一行の姿を見られる心配もないのだ。僕は戸田の地形をよく知っているから、「うんうん、そうだよなぁ」と納得した(w

本著を読むと、どうやらプチャーチン一行は戸田村だけでなく、近隣の村々にも出かけていたようだ。

≪微笑ましいエピソードも残っているので、一つ紹介したい。救われたロシア人の一部が上陸した原宿一本松では、おりしも要神社の祭礼があり、奉納相撲が行われていた。そこにロシア人が飛び入り参加し、体の大きさもあって次々と地元の若者を投げ飛ばした。しかし、内田重蔵という網元の若者がこのロシア人を倒して優勝した。ロシア人はこの若者に敬意を表し、船から運び出したコーヒーカップを贈ったという。≫(89頁)

原宿というのは、今の沼津市の原(はら)地区のことだろう。当時は宿場町であり、東海道五十三次のひとつでもあった。一本松という地名も、今日でもこの地区に残されている。どうやら一行は、戸田から原にまで遊びに行くこともあったらしい。

プチャーチンとの縁は、こうして沼津市全体に及んでいたのだ。

 

最終的に、新しい船「ヘダ号」が完成した。もちろん戸田村にちなんだ命名である。プチャーチンはこのヘダ号に乗って、母国・ロシアへと帰還することができた。

後の明治時代になっても、プチャーチンは駐ロシアの日本人外交官の面倒を見るなど、終始日本のために尽くしたようだ。一方の日本も、彼に叙勲(勲一等旭日章することでその恩に報いた。プチャーチンと日本との友情は終生続いたのである。

話はこれだけでは終わらない。彼の死後の1887年、今度は彼の娘であるオーリガ・プチャーチナさんが戸田村を訪れ、100ルーブルを寄付したのである。戸田村の人々は彼女に深く感謝し、この100ルーブルを貧民救済のための基金にあてたという。

 

本著のサブタイトルは、「日本人が一番好きなロシア人」である。

この日本語は、あいまいだ。日本人がプチャーチンのことを最も好いているのか、それともプチャーチンが世界の民族のなかで日本人を最も好いていたのか。どちらの意味にもとれる。

たぶん、どちらの意味でもいいのだろう。著者はあるいは、ダブルミーニングを狙って意図的にあいまいなサブタイトルを採用したのかもしれない。

 

プチャーチン(新人物往来社2010年刊行)

プチャーチン(新人物往来社2010年刊行)