Furusawa Keisuke's blog

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書評『多田駿伝』

本日ご紹介する本は、『多田駿伝 「日中和平」を模索し続けた陸軍大将の無念』小学館である。

 

「え、多田……駿? ぶっちゃけ、誰っすか?」

と皆さん不思議に思っていることだろう(w

恥ずかしながら、僕自身、多田駿なる人物のことを、本著を読んで初めて知った次第である(;^_^A

 

多田駿(ただ・はやお 1882‐1948)は、陸軍軍人。支那事変――かつてわが国は日中戦争のことをこう呼んでいた――の際に蒋介石政権との和平交渉継続を訴えた人物である。

東北出身であり、あの石原莞爾の先輩であったことから、石原とは親しかったようだ。しかし石原と比べると、多田の知名度は著しく低い。なにせ僕も知らなかったくらいだ(w)。石原を扱った評論、評伝は数知れずあるが、多田の評伝は、これまでなかったという。

そんな謎多き軍人・多田の生涯に初めてスポットライトを当てた評伝が、本著というわけだ。著者は、歴史家の岩井秀一郎さん。

 

多田は、当時の言葉で言えば「支那通」として知られていた。今風に言えば「親中派」といったところだろうか。

上述のとおり、支那事変の際には、戦闘のさらなる拡大に反対した。彼がいかに事態拡大を食い止めようとしたかが、本著の最大の見どころとなっている。

彼がそうまでして戦闘に反対した理由――それは彼が「弱い者いじめ」が嫌いだったからである。

当時の東アジアでは、国力の差を反映してか、大陸に進出した日本人が現地の中国人などの他民族を見下す、といった光景がいたるところで見られたという。多田は同胞によるそうした「弱い者いじめ」に胸を痛めていたのだ。

彼は中国人たちに対し、決して高圧的な態度はとらなかった。北支那方面軍司令官に任命された際、多田は「悦服」(えつふく)なる言葉を好んで用いたという。民衆が単に服従するのではなく、「悦」んで「服」従することを指す言葉だ。つまり現地の民衆を無理やり抑えつけるのではなく、彼らの心をつかみ、自発的に日本に協力させることがまずなによりも肝心だと彼は考えたのだ。

そんな多田は、しかしながら単純に「日本人=悪、中国人=善」と考えていたわけでもなかった。

≪多田は決して手放しで中国と中国人を称賛したのではない。「中国通」とはいえ、単なる「親中派」とは一線を画している。(中略)

 権謀術策にかけては、日本人は中国人には敵わないという。多田は、中国人との直接の交渉はもちろんのこと、中国の兵法書なども多数所蔵しており、中国人がいかに策略に長けているか、現場からも書物からも学んでいただろう。(中略)

 相手の文化に敬意を払い、民衆を立てつつも、中国人の権謀術策への注意を怠らないあたり、多田独特のバランス感覚だといえる。それは、中国の地で多くの現場を踏んできたからこそのリアリズムでもあるのだろう。≫(231‐232頁)

先程、「支那通」とは今風に言えば「親中派」のことだろうと書いたが、どうやら多田は、中国共産党政権におべっかを使ってばかりの昨今の自称「親中派」連中よりも、一枚も二枚も上手だったようだ。

 

ちと話はそれるが、今日の中国は、本当に野蛮な国に成り下がった。

多田の生きた時代、「暴支膺懲」(ぼうしようちょう;乱暴者の中国を懲らしめる、の意)というスローガンが多用されたが、当時の中国は国際政治の観点からすれば、さほど乱暴者というわけでもなかった。

ところが今日の中国たるや、完全に「暴支」である。たとえばウイグルでは、ムスリムの収容所が急速に拡大しており、一部報道によればムスリム200万人が身柄を拘束されているという。これこそ、多田が最も嫌った「弱い者いじめ」ではないのか。

多田が生まれる時代がもう少し遅く、彼が現代日本自衛官であったならば、あるいは彼は対中強硬派になっていたかもしれない。

 

多田は、日米開戦の年、予備役に編入された。彼はその晩年を、千葉県の館山にて過ごした。館山には僕も行ったことがある。気候は温暖で海も美しい。僕の地元に近い静岡県伊豆半島と雰囲気がよく似ているな、と感じたのをよく覚えている。

その館山で、多田は静かに余生を送った。彼は読書家であり、哲学書などを読んで過ごしていたようだ。

多田は石原莞爾同様、宗教に関心があった。しかし日蓮主義に熱心に帰依した石原とは異なり、多田は法華経にはあまり関心を持たなかったらしい。

彼は、禅に関心を寄せていたようなのだ。彼は、江戸時代の曹洞宗の僧侶・良寛を篤く尊崇していたという。良寛を偲んだ詩まで書いているほどである。

晩年の多田を描いた本著終章を読むと、彼がきわめて理知的、それでいて宗教的な感性をも備えていたことに驚かされる。

え、こんな人が軍人をやっていたのか。失礼だけど、あまり軍人には向いていなかったんじゃないかな、と僕には思えた。

本著の表紙に、彼の肖像写真があしらわれている。とても痩せ型の人物で、やっぱり軍人っぽくない。どちらかといえば、学者っぽい印象を与える人物だ。そしてこういうタイプの人が、僕は大好きなのである(w

本著を読んで、僕はすっかり多田駿のファンになってしまった。

 

最後にひとこと。本著の著者、岩井秀一郎さんは、本著が初めての単著である。1986年生まれだというから、僕とは歳が2つしか違わない。彼の次なる著作が、今から待ち遠しい。

 

多田駿伝: 「日中和平」を模索し続けた陸軍大将の無念

多田駿伝: 「日中和平」を模索し続けた陸軍大将の無念