Furusawa Keisuke's blog

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書評『不況は人災です!』

「日本はもう成長しない」

なにかにつけてそうつぶやく左派の人たちの言い分に耳を傾けてみると、どうやら彼らは不況という経済現象を、自然災害のようなものと捉えているらしいことが、おぼろげながら分かってくる。

台風が来るのがしょうがないことのように、不況が来るのだってしょうがないこと、人の力ではどうしようもないことでしょ――そう彼らは言っているように、僕には思えるのだ。

 

本日取り上げる『不況は人災です! みんなで元気になる経済学・入門』筑摩書房は、まさにタイトルのとおり、不況は天災なんかじゃないよ、エリート連中の無能、不作為によって引き起こされる人災なんだよ、ということを教えてくれる書籍である。

著者は、本ブログではもはやおなじみと言っていいだろう、経済学者の松尾匡(まつお・ただす)さんである。

彼の人懐っこい、お笑いの精神に満ちた語り口が、僕は大好きだ。

本著でも、松尾さんはとても分かりやすく、経済について解説してくれている。

 

松尾さんはまず、経済(成長)についての巷間の誤解を解き、経済成長の大切さを力説するところから始める。そして、日本経済が長期にわたる停滞に陥った原因として、政府・日銀の不作為を挙げる。続いて現代経済学の歩みについて解説し、終章にて、現代日本がデフレから脱却するための方法について検討するのである。

「現代経済学の歩み」とは、さて何だろう。松尾さんによれば、それはケインズ経済学が「新しい古典派」からの批判を受け、それを取り込むかたちでニュー・ケインジアンへと進化したという歴史のことである。

なんのこっちゃと思われるかもしれないが、ようするにこういうことだ。1960年代まで、ケインズ経済学はこの世の春を謳歌していた。実際、ケインズ経済学のおかげで当時の西側先進諸国は未曾有の経済成長を経験していたのだから、これは当然のことである。

ところが1970年代になると一転、インフレが深刻化し、ケインズ経済学は経済学者たちからの厳しい批判にさらされるようになった。このときケインズ経済学批判の急先鋒に立ったのが、「新しい古典派」(ニュー・クラシカル)と呼ばれる一派だ。彼らの主張は、世間一般でいうところの「新自由主義」のニュアンスに近い。この「新しい古典派」が力をもったせいで、ケインズ経済学はもはや死んだかと思われた。

ところがどっこい。「新しい古典派」からの批判をうまい具合に“取り込む”――つまり全否定するのではない――ことによって、ケインズ経済学はニュー・ケインジアン(新しいケインズ経済学)へと進化したのだ。そして今日「リフレ派」と呼ばれる人たちは、このニュー・ケインジアンの観点からリフレ政策を提唱しているのである。

なるほどなぁ、ととても勉強になる。

 

本著が書かれたのは、2010年、まだ民主党政権下でのことであった。松尾さんは本著にて、以下のように述べている。

≪もし労働組合や「左派」と言われる勢力が、実質的には大資産家だけの利益になる政策主張を掲げて、働く人々の雇用拡大のニーズに背を向けていたならば、右翼ナショナリズム勢力がその代わりを務めることになるのは歴史の常です。例えば戦前のドイツで、大恐慌に際して、与党を担う社会民主党ヒルファーディング蔵相(著名なマルクス経済学者)らが財政均衡にこだわり、失業問題を深刻化させたことで、結果的にナチスの台頭を招いたことを、大いに教訓とすべきだと思います。≫(159頁)

その後の歴史の流れは、まさに松尾さんが懸念した通りの展開になりつつある。

人々の歓声によって迎えられたはずの民主党政権は、しかしながら最後は緊縮財政で人心を失い、下野。代わって登場した右派の安倍政権の「アベノミクス」によって、日本経済は徐々にではあるが立ち直りつつある。

だがそれはもちろん、左派である松尾さんの望む展開ではなかった。まさに上の引用箇所にて彼が警鐘を鳴らしているように、緊縮財政の“日本型リベラル”が人々、それも若者世代からの信頼を失い、かわりにアベノミクスを推進する右派・自民党が勢力を伸ばす、という現状になっているのだ。

 

ここでひとつ、疑問が生じる。

どうして日本の左派は、緊縮財政なのだろうか?

松尾さんは本著のなかで欧米の左派の動向も紹介しているが、欧米の左派はおしなべて積極財政を支持している。それと比べると、日本の左派の異質さが際立つ。

この理由として松尾さんは、①かつてインフレが問題視されていた1970年代において最先端だった当時の経済学を勉強した人たちが、いまだに「インフレ=悪」という発想を引きずっている、②冷戦終結後に左派がマルクス主義に代わる理想としてエコロジー思想を採用し、「これからは物の豊かさより心の豊かさ」と考えるようになった(※)、③ニュー・ケインジアンと言っても所詮はかつての公共事業(=金権政治を推し進めたケインズ経済学と同じでしょ、と誤解された、などの点を挙げている。

なるほどなぁ、とこれまた勉強になった(w

 

※しかし社会学者の稲葉振一郎さんが『経済学という教養』のなかで指摘していたように、冷戦期においては経済成長が鈍かった東側諸国のほうがむしろ環境破壊は深刻だったのである。

 

さて、本著を読んで僕が思い出したのは、政治学者・丸山眞男(1914-1996)の『「である」ことと「する」こと』という評論であった。

周知のとおり、丸山は、日本人はどうしても社会の構造を、自然の摂理によって人間にあらかじめ与えられたもの、すなわち「である」ものとみなし、人間の意図するところによって形成されたもの、すなわち「する」ものだとはみなさない、と考えた。

彼のこうした議論は、日本人の経済観にも当てはまるのではないか。上に述べたように、日本の左派は、不況というのを、なにやら人知を超えた、自然災害のようなものとして捉えてしまう。

だがそれは間違いだ。不況というのは、本来経済政策を行うべきエリートたちが政策を怠ったせいで引き起こされる人災なのである。天災ゆえに誰も悪くない=責任を取れないのではなく、人災であるがゆえに明らかにエリートたちが責任を負うべきなのだ。

丸山は長く、左派の人々から尊敬を集めてきた。それならばなおのこと、日本の左派が緊縮財政を支持し、経済政策を軽んじるのは、問題があるのではないか。

 

不況は人災です! みんなで元気になる経済学・入門(双書Zero)

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