Furusawa Keisuke's blog

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書評『インド 第三の性を生きる』

今や日本では、女装がすっかり市民権を獲得した。

「禁断の趣味」扱いされたのも昭和までの話。平成の今日では、女装男子がもはや当たり前のように街を闊歩している。最近では女装男子限定の婚活パーティー(!)まで催されているのだそうで、その人気のほどがうかがえる。

さて、それでは海外はどうなのだろう。海外の女装者たちは、いったいどのような環境下に置かれているのだろうか。

 

本日ご紹介する本は、『インド 第三の性を生きる 素顔のモナ・アハメド青土社だ。

本著は、インドのユーナック、モナ・アハメドさんを主人公とする書籍である。いや、書籍というよりかは写真集と呼んだほうがいいかもしれない。本著にてモナさんとともに名前をクレジットされているダヤニタ・シンさんはカメラマンであり、彼女の写真がモナさん自身の手による文章の合間合間にふんだんに掲載されているからだ。

シンさんの撮った写真にはいずれも、インド女性の衣服をまとったモナさんの姿が映し出されている。

 

……さきほど、「ユーナック」なる聞き慣れない言葉をつい使ってしまったが、インド社会におけるトランスジェンダーの人々のことを、現地ではこう呼ぶらしい。

ユーナックのなかには、もとからインターセックス――半陰陽、俗にいう「ふたなり」――の人もいるものの、多くはいわゆる「性同一性障害」、すなわち身体は男性だが心は女性、という人々である。

インド社会では彼ら――本著では一貫して「彼女たち」と呼ばれる。以下、本ブログでも「彼女たち」で通す――は去勢しなければならないらしい。本著でも、モナさんの去勢の場面が描かれている。インドでは麻酔などもロクにやらないまま手術をやるみたいだから、当然ながら痛みが酷いらしい。

肉体的な苦痛だけでなく、精神的な苦痛もまた、ユーナックたちを苦しめる。インドでは男子が去勢するということは一家の恥と考えられているようで、ユーナックの家族たちは、なにがなんでも去勢をやめさせようとする。それでもユーナックが去勢してしまうと、そこから先、家族は彼女をかたくなに拒むようになるのだという。

去勢によって、ユーナックは元の家族を失う羽目になるのだ。

ユーナックは、したがって彼女たちだけの独自のコミュニティーをつくり、そのなかで生きていくこととなる。モナさんも、そうしたコミュニティーのなかで40年近く生きてきたのだという。しかし彼女は――本著ではモナさんも他のユーナックも一貫して「彼女」である――なんらかの原因で他のユーナックたちと決裂してしまったようで、そのコミュニティーからも放逐されてしまったのだった。

その理由は本著では詳しく語られることはないが、おそらくはユーナックがインド社会全体から差別されており、彼女たちもそれを当然のこととして卑屈にふるまっていることがモナさんには許せなかったのでは、というふうに推測される。

 

上述のとおり、本作には写真が多い。しかしモナさんは、言っちゃ悪いがすでに高齢であることに加え、先に述べたような波乱万丈の人生を歩んできたため、どの写真でも彼女はくたびれているように見える。実際、写真のキャプションによれば、彼女は鬱の症状に悩まされることも多いらしい。

写真ではときおり、街を歩く男性たちがモナさんに対して明らかに侮蔑の眼差しを向けている様子が映っている。日本風にいえば「うわぁ、あいつオカマだぜ! キモ~www」みたいな感じだ。

このように心無い男性たちの侮蔑の眼差しに晒されつつも、それでもなおモナさんはひとり、自らの人生を歩み続けるのである。

 

モナさんは、完全に女性になりきりたい、というわけでも実はないらしい。彼女は、まさにタイトルのとおり、男でも女でもない、「第三の性」を生きたいようなのだ。

そもそも彼女の名前からして、それを象徴していると言える。モナ・アハメドのうち、モナは女性名であり、彼女がユーナックになったころから名乗るようになった名前である。一方、アハメドは男性名であり、男児として生まれた際に彼が両親から与えられた名前である。

その双方を、彼女は名乗っているのだ。男でも女でもない、いや、男でも女でもある「第三の性」。それこそが自分なのだ、と。

 

本著がわが国で刊行されたのは、2006年のこと。元は洋書であるから、おそらくはそれより前、だいたい2000年くらいに世に出た本のはずである。

それからすでに、15年以上もの年月が経っている。モナさんは今頃、どんな日々を過ごしているのだろう。彼女のその後が気になるのは、僕だけではないはずだ。

 

インド 第三の性を生きる―素顔のモナ・アハメド

インド 第三の性を生きる―素顔のモナ・アハメド