Furusawa Keisuke's blog

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書評『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』

評論家・宇野常寛さんのことを、僕はわりと評価している。

「えー? どうして宇野なんか褒めるんですかぁ。あいつ、サヨクじゃないですかぁ!」

とよく言われる。

確かに、彼の見解に同意できることはそんなに多くない。だが重要なのは、同意できるか否かではなく、ちゃんと主張内容を理解できるかどうかなのだ。宇野さんは、自らの考えをとても明晰かつ論理的に、語ることができる。僕は、だから宇野さんの言論活動には注目することにしているのだ。

 

今回ご紹介するのは、宇野さんの『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』朝日新聞出版)である。

タイトルに「講義録」とあるように、本著は宇野さんが京都精華大にて行った講義を活字化し、書籍にまとめたものである。したがって終始話し言葉で書かれており、とても読みやすい。加えて宇野さんの語り口は、上述の通りとても論理的で明晰ときているから、読んでいて「あぁ、そういうことだったのか!」と頭の中がスッキリと整理されるのだ。とても良い読書体験である。

 

本著では、大体1970~80年代以降の、わが国のサブカルチャーの歴史が概観される。宇野さんの視野はとても広く、特撮からアニメ、さらにはアイドルまで多岐にわたっている。

実はこれが、宇野さんの評論の特徴なのだ。本著のなかで宇野さんも指摘している通り、アニメファンはたいていアイドルを貶すことが多い。「ケッ! 俺は3次元なんて興味ねーよ!」と(僕もそうだw)

だからアニメについて語る評論家は、アイドルについてはあまり語りたがらないものなのだ。ところが宇野さんは、どちらとも語る。そして、どちらにも現代日本を読み解くための鍵がある、と見るのだ。

 

 

宇野さんの評論のポイントは、このようにサブカルチャーを分析することで日本社会を読み解くというスタイルにこそある、とこれまで僕は思ってきた。

ところが。

本著を読むと、宇野さんは意外にも、サブカルチャーの時代はもう終わりつつあるというではないか!

えっ、どういうこと?

 

宇野さんは本著にて、20世紀後半の歴史を振り返っている。

1960年代末は、世界的に革命の機運が高まった時期である。日本においては、それは全共闘というかたちで表れた。そうした革命の機運は、しかしながら1970年代に入ると急速にしぼんでしまった。「どうせ革命では世界は変えられない」というあきらめが、その原因であった――日本においては、革命の挫折は、連合赤軍事件に象徴される内ゲバという陰惨なかたちで表れた。

それでは、若者たちは一体どうしたか。

「世界を変えられないなら、自分自身を変えてしまえばいいんだ」と考えたのだ。

かくして誕生したのが、ヒッピーカルチャーである。知的な若者たちがつくる都市文化の中心は、政治運動からサブカルチャーへと移行した。かくして、20世紀後半はサブカルチャーの時代となり、サブカルチャーを分析すれば現代社会が読みとけるようになったのだ。ところが。

そうしたヒッピーカルチャーが、やがてカリフォルニアン・イデオロギーを生むこととなる。

カリフォルニアン・イデオロギーとは何か。

要するに、「applefacebookgoogleなどのIT企業の力によって世界を変えてしまおう!」というイデオロギーのことである。実際、googleなどはネット検閲の問題をめぐって、一主権国家である中華人民共和国とサシでやり合えるくらいの存在なのだから、IT企業が世界を変えるという発想は、決して誇大妄想などではない。

かのスティーブ・ジョブズが元ヒッピーであることからも分かる通り、カリフォルニアン・イデオロギーはヒッピーが生んだものである。

……アレ? おかしくないか?

もともとは「どうせ世界は変えられない。それならば……」ということで始まったヒッピー文化なのに、それがIT企業を生んだことで「あれ、世界って……やっぱり変えられるじゃん!(w」という話になってしまったのであるw(;^_^A

かくして、サブカルチャーに“逃げ”なくても、IT企業に入社すれば現に世界を変えられるようになったのだ。サブカルチャーの時代はこうして終わった、というのが宇野さんの見立てなのである。なるほど、と彼の分かりやすい解説に感心させられた。

 

宇野さんは、しかしながらそれでもなお、サブカルチャーにこだわるつもりだという。

どうしてか。それは、上述のような「IT企業に入って世界を変えてやるぞ!」と息巻くカリフォルニアン・イデオロギーの若き信奉者たちが、宇野さんに言わせれば「話が壊滅的に面白くない」からである。

彼らは≪ブロックを右から左に移動するのはものすごく得意で効率的なのだけど、そのブロックを面白い形に並べて人を楽しませることが苦手な人がとても多い。≫ (41頁)

宇野さんは、そこでサブカルチャーの世界から創造性を汲み取り、カリフォルニアン・イデオロギーと、今日におけるサブカルチャーの担い手たる文化左翼――こちらは現実政治に影響力がない――との「いいとこどり」をしようと考えているのだ。

すでに「古きもの」と化したサブカルチャーの世界にあえて戻って、そこから汲み取れるものを探す。

僕には、これは保守主義的な発想に思える。保守主義者は、なにか新しい事態に直面すると、古の賢人たちの書物に立ち戻り、そこから知恵を汲み取ろうとするからだ。

サヨクっぽくて、サブカルチャーについてがんがん語る宇野さんには、意外にも、保守主義的な一面があったのだ。

 

※最後に、本著にひとつ批判……というか、指摘をw

本著のなかの『Zガンダム』評にて、宇野さんは≪主人公は「カミーユ」という名前ですが、これはフランス人の女性の名前ですね。だから彼は「女の名前をつけられた」ということにコンプレックスを感じています。≫(182頁)と解説している。

これは、実を言うと正確ではない。カミーユというのは必ずしも女性の名前とはかぎらず、「男にも女にもどちらにも使える名前」であるからだ。日本でたとえるならば、「ヒカルちゃん」とか「アキラちゃん」みたいな感覚なのである。

もっとも、男らしくない名前だというのは間違いないだろう。

 

若い読者のためのサブカルチャー論講義録

若い読者のためのサブカルチャー論講義録