Furusawa Keisuke's blog

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書評『不干斎ハビアン』

本ブログではこれまで、宗教学者にして浄土真宗の僧侶でもある、釈徹宗さんの著作をたびたび取り上げてきた。とても平易でユーモラスな話し言葉の文体が、彼の一番の持ち味だ。

本日取り上げる釈さんの著作『不干斎ハビアン 神も仏も棄てた宗教者』(新潮社)は、しかしながら釈さんのいつもの文体とはガラリと変わって、硬質な書き言葉の文体で書かれた本である。釈さんの、これまでとは違った一面が見られる著作だ。

 

さて、タイトルともなっている「不干斎ハビアン」とは、一体何者なのだろう。正直、あまり聞き慣れない名前だ。

ハビアン(1565‐1621)は、安土桃山期から江戸初期にかけて活躍した、キリシタンにして“元”キリシタンでもある人物である。どういうことか。

彼はもともとは臨済宗の修行僧であったが、南蛮渡来のキリスト教に魅了され、入信、イエズス会の修道士として活躍するようになった。ところが後に修道女と駆け落ち同然で教会を去り、棄教。以降はむしろ幕府に協力してキリシタンを弾圧する側に回った。ゆえに、キリシタンであり元キリシタンでもあるという、なんとも奇妙な人物なのである。

 

ハビアンは、頭が良く、弁も立つ人物だったようだ。キリスト教に入信した彼は、たちまちのうちに頭角を現し、日本のイエズス会において重要な人材と見なされるようになった。

そんな彼がキリスト教擁護のために著した書物が、『妙貞問答』である。

これは、当時の日本の宗教である仏教、神道儒教などについて解説し、その問題点を洗い出したうえで、最後にキリスト教の優位性を説く、という内容の本である。釈さんは本著の前半部分を、この『妙貞問答』の解説にあてている。

 

『妙貞問答』の素晴らしい点は、論理的であることに加え、著者であるハビアンが仏教、神道などについて極めてよく理解したうえで、その急所を批判しているということである。

上述のとおり、ハビアンはもともとは臨済宗の修行僧であった。そんなハビアンだからこそ、既成仏教、とりわけ禅宗に関しては極めてよく理解していたのだ。元僧侶だからこそ、僧侶の考えることが手に取るように分かるのである。釈さんは、これに加えて、物事を相対化したがる禅宗の性格も彼の人格形成に影響を及ぼしたのだろう、と見ている。

ハビアンは、神道についてもその重要文献をきちんと読みこんだうえで批判を展開している。ちょうど、先日、本ブログにて取り上げたガザーリーが、哲学を徹底的に勉強したうえで哲学批判を展開したのと同じことである。

ハビアンのこうした態度を、宗教学者である釈さんはとても高く評価しているのだ。

 

ハビアンは、仏教はじめ既成の宗教の、どこが嫌だったのだろう?

それは、それらの宗教に絶対的な存在がなかったからである。仏も元々は人間であった。日本の神々だって、どこかからひょっこりと生まれてきた存在である。

対して、キリスト教の神は、絶対的な存在だ。人間ではむろんなく、世界が創造される前から存在していた。ハビアンは、そうした「絶対」という概念に魅せられ、キリスト教に入信したのだった。『妙貞問答』では、キリスト教の神の絶対性が解説されている。

しかし、である。上述の通り、ハビアンは最終的にはそのキリスト教を棄教してしまうのだ。皆さん、不思議に思わないか?

「え、『妙貞問答』でこんなに自信満々に他宗教をdisっていた人が、一体どうして?」と。

その謎を知りたくて、読者はワクワクしながらページをめくることだろう。

 

さて、そんなハビアンの前に現れたのが、当時新進気鋭の儒学者であった、林羅山(1583‐1657)である。

林の名前が本ブログで登場するのは、これが二回目となる。一回目の登場は、石川丈山の評伝『艶隠者』であった。この本のなかで、林は石川の親友として登場する。隠遁生活を送っていて今風に言うならニート(w)であった石川とは異なり、幕府の御用学者であった林はこれまた今風に言えば内閣補佐官、れっきとした体制側エリートであった。

そんな林が、一度ハビアンの家を訪れ、彼と論戦したことがあったのだ。本著中盤では、その論戦について語られている。

論戦は、一般的には林の勝利とされている。ハビアンはコテンパンに論破されてしまった、とされているのだ。

ところがこれは、あくまで林が残した文書にはそう書かれているというだけの話であって(※)、実際のところは分からない。釈さんは、この論戦はどちらが勝った負けたというのではなく、ふたりが用いていたテクニカルタームがあまりに違い過ぎたがゆえに、そもそも議論が噛みあわなかったのではないか、とみている。

※こういうあたり、ネットスラングでいうところの「勝利宣言」と似ている。林は、今風に言うと「論破厨」っぽいところがあったのかもしれない。

実際にどのような議論が交わされたかは、残念ながら定かではない。はっきり分かっているのは、その数年後、ハビアンはキリスト教を棄教してしまう、という事実だけである。

 

棄教したハビアンは、今度は一転、キリシタンを取り締まる幕府の側に協力するようになった。そうして彼が著したキリスト教批判の書物が、『破提宇子』である。提宇子とは、デウス、つまり神のこと。ハビアンは、今度はキリスト教の神に挑戦したのだ。

先程の『妙貞問答』同様、今回も、かつて所属していた宗教集団への批判なのだから、その批判は実に的を射ている。どうやらこれが、ハビアンの“お家芸”だったようだ(w

『破提宇子』のなかで、ハビアンは『妙貞問答』での自身の見解を修正し、仏だって必ずしも元が人間とは限らないし三身説、日本の神が別の神から生まれることをもって絶対的存在ではないというのであれば、イエスだって神から生まれた「神の子」なのだから日本の神と同じではないか、と指摘している。こうした教義面での批判に加えて、ハビアンは、キリスト教会の西洋人の神父が日本人を見下す、などの実務面での批判も展開している。これは、実際にキリスト教会に身を置いていたハビアンだからこそできた批判と言えよう。

こうしてついにはキリスト教までをも相対化してしまったハビアン。釈さんはこれをもって、ハビアンを、(当時の日本の)宗教すべてを相対化した、比較宗教論の先駆けとして評価するのである。

 

ハビアンは、最後はどうなったのか。本著によれば、晩年の彼は、特定の宗教に全面的にコミットするのではなく、既成宗教の教義をパッチワーク状につなぎ合わせて己の思想を語るようになったらしい。こうした彼の態度を、評論家の山本七平さんは「日本教」の典型だと指摘したのだという。

本著終章にて、既成宗教を「つまみ食い」するハビアンは、意外にも今日のスピリチュアルブームにも通じる、と釈さんは指摘している。

400年前の人物であるはずの、ハビアン。彼は案外、極めて現代的な感性の持ち主だったのかもしれない。よし、本ブログではこれから彼を「早く生まれすぎた21世紀人」と呼ぶこととしよう(w

 

不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者 (新潮選書)

不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者 (新潮選書)