Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』

世の中には、タイトルを見た瞬間、「こ、これは……欲しいっ!(w」と思わせてくれるような本が、たまにある。

本著は、まさにその典型だ(w

だって、『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』毎日新聞出版って(w)。「お前は前田敦子かっ」とついツッコミを入れたくなってしまう(w

だが、本当にそのとおりなのだ。今、日本でリベラルを自称ないし他称している人たちの迷走ぶりには、本当に目を覆いたくなる。

「反安倍」という大義名分のためなら、なんだってアリ。援助交際天下りをやっていたような官僚でも、ひとたび安倍首相に逆らえば、リベラルはたちまち聖人君子だと持ち上げる。子供たちに教育勅語を暗唱させるような保守系の学校長でさえ、ひとたび安倍批判に転じればリベラルはとたんに擁護し出す。

このほかにも、経済、安全保障政策への無知、無理解、電力供給の実態を無視した原理主義的な脱原発路線……等々、彼らの問題点を挙げればきりがない。

しかしながらその一方、リベラリズムという思想は、政治哲学の世界において大きな潮流をなしている政治思想なのである。

ロールズという、現代思想の大家とされる政治哲学者がリベラリズムの思想を大きく進歩させたことは間違いない。『ハーバード白熱教室』で有名なサンデル教授はコミュニタリアン共同体主義者)であるが、彼もまたリベラリズムの論客たちとの積極的な交流、批判によって、むしろリベラリズムの側へと近づいていったのである。

リベラリズムこそ、今日の我々が重視しなければならない、政治思想であるのだ。

 

……失礼、著者の紹介がまだだった。

本著の著者は、政治哲学者の井上達夫さん。一時期、ハーバード大に留学した経験があり、上述のロールズの講義も直に聞いたほか、あのサンデル教授とも長い付き合い(!)なのだという。

井上さん曰く、自分は組織に属するのが苦手とのことで、そうした性格ゆえか、本著も日本のリベラルをガンガン批判する、なんとも刺激的な内容となっている。

 

本著は、二部構成。第一部で井上さんによる昨今のリベラルへの違和感、というか批判が述べられ、続く第二部にて政治哲学としてのリベラリズムが語られるのである。 

まず第一部から。これがスゴイ(w

たとえば井上さんは、徴兵制をあえて肯定するのである。

「えっ、リベラルなのに徴兵制を肯定!?」

読者は混乱してしまうことだろうw(;^_^A

ところが世界全体で見ると、徴兵制に左派が賛成するのは決して珍しいことではないのだ。その証拠に、フランスが徴兵制を廃止した際、最後までこれに反対したのは共産党であった。

誤解なきよう。徴兵制に反対したのではない。徴兵制廃止に反対したのである。一体どうして?

それは、志願制では貧困層の青年ばかりが軍隊にいくことになるからだ。共産党は、それでは不公平だとし、金持ちも貧乏人も“平等に”兵隊にとられる徴兵制(の維持)に賛成したのである。

井上さんも、これと似たことを述べている。彼は徴兵制賛成の理由として≪無責任な好戦感情に、国民が侵されないようにするため≫(59頁)と述べている。

彼は実例を挙げている。ベトナム戦争当時、アメリカは最初のうちは志願制だった。しかしそのときは反戦運動が盛り上がらなかった。戦況が悪化し、徴兵制が実施されてはじめて、反戦運動が盛り上がったのだという。マジョリティである白人中間層の青年たちが戦場に行く可能性がにわかに高まるや、反戦運動が大学などを中心として盛り上がったというわけなのだ。

 

憲法九条を削除せよ、との井上さんの主張はさらに過激であるw(;^ω^)

「ええっ、リベラルなのに九条……削除ォ!? 一体どうなってるの??????」

もはや読者の頭は爆発寸前に相違ない(w

井上さんの九条削除の理由は≪安全保障の問題は、通常の政策として、民主的プロセスのなかで討議されるべきだと考える。ある特定の安全保障観を憲法に固定化すべきではない≫(52頁)との考えによる。

井上さんは、安全保障の問題で憲法の条文がいわゆる「拡大解釈」されている点を問題視する。彼は、批判されるべきは保守だけでなく、リベラルも同じだという。なぜなら非武装中立と言いながら、自衛隊と安保の現実は事実上、容認している≫(49頁)からだ。それだって拡大解釈だろっ、と“身内”すらも批判する井上さん。なるほど、組織には向かない性格だろう(w

 

第一部がこのように時事問題を扱っているのに対し、後半の第二部では一転、政治思想としてのリベラリズムが語られる。

ここは結構、専門的かつ難解な箇所なので、一読しただけではなかなか分かりづらいかもしれない。

本著はインタビュー形式で書かれているので――これは井上さんにとっては初の試みだったという――文章自体は読みやすいのだが、やはり政治思想の話となると一筋縄ではいかなくなる。だが平易な文なので、何回も繰り返し読んでいけば、次第に分かってくるはずである。

この第二部のなかで、井上さんは上述のロールズを批判している。ロールズリベラリズムの大枠を打ち立てた知的巨人であるが、晩年になると彼自身が日和ってしまい、「世界のすべての地域で俺が考えたようなリベラリズムが通用するわけじゃないんだよね~」みたいな感じで、自らの主張を後退させてしまった(と少なくとも井上さんは受け取った)

井上さんはそれがよほど許せなかったようで、本著のなかでロールズのこの「後退」を舌鋒鋭く批判している。一方、コミュニタリアンのサンデル教授については、彼が次第に自らの考えをリベラリズムへと接近させていったことを高く評価している。

 

第二部のなかで面白かったのが、サンデル教授の『ハーバード白熱教室』を井上さんが批判する箇所だ。

サンデル以前、ハーバード大のロー・スクール法科大学院では、めちゃくちゃ厳しい授業が行われていた。教師がどんどん質問し、ちょっとでも学生が答えられないとボコボコに論破してしまう。本ブログにて以前取り上げた『ペーパーチェイス』という映画でそうした授業風景が描かれているので、興味のある方はぜひご覧になってほしい。

サンデル教授の「白熱教室」は一見、そうしたスパルタ授業とは対極にあるように思える。だが井上さんに言わせれば、あれはかつてのスパルタ授業がソフトになっただけなのだという。どういうことか。

かつてのスパルタ授業――「ソクラテス・メソッド」というらしい――の特徴は、教師は学生に質問ばかりして、自分は答えない、という点にあった。実は「白熱教室」もこれと同じなのだ。サンデル教授は「君、名前は?」とまず学生に答えさせる。それに自分が反論するのではなく、「OK、では今の〇〇の意見に異論のある人は?」と学生たちに尋ね、“学生に学生を反論させる”のである。サンデル教授自身は、自らの政治的見解を明らかにすることはない。

井上さんは、こうしたやり方を批判しているのだ。教師はまず、「先生の意見はこうです!」と自らの見解をバーン!と明らかにすべきなのだ。そのうえで、学生からの批判に答えるべきだ、というのが井上さんの考えなのである。

僕は以前、「白熱教室」の現代的な点は、教師が学生に自らの考えを押しつけないで、学生に自分なりの答えを探させることだ、と書いたことがある。井上さんは、これとはまた違っている。彼は、自らの考えを明らかにするものの、それを押しつけることはしない。むしろどんどん批判しろと言う。そうすることで学生たちに自分なりの答えを探させようとしているのだ。なるほど、これもひとつの現代的な考え、なのだろう。

 

本著には、このようにとても興味深い内容が数多く書かれている。どうか皆さんも本著を手に取って読んでみてほしい。

僕は(日本の)リベラルのことは大嫌いだが、政治思想としてのリベラリズムには、とても強く惹かれているのである。

 

 

この本もオススメ! BOOK GUIDE

・『日本とフランス 二つの民主主義 不平等か、不自由か』(光文社)

 日本とフランス、それぞれの左派の違いについて解説した好著。上述の、フランス共産党は徴兵制廃止に反対した、という話は本著のなかに出てきます。