Furusawa Keisuke's blog

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書評『ファシズムとは何か』

先日は、『ファシズムと文化』というリブレット(小冊子)を取り上げた。

本日も、昨日に引き続き、ファシズムに関する書籍をご紹介するとしよう。

タイトルもずばり、『ファシズムとは何か』岩波書店である。

著者は、イギリスのファシズム研究者、ケヴィン・パスモアさん。

 

「え、海外の人の本? なんか難しそう……」などとは思わないでほしい。本著は、もともとは一般の人向けの入門書として書かれた洋書を翻訳したものであるからだ。『ファシズムと文化』のようなリブレットと専門書との橋渡しをになう本なのである。

本著の範囲は、したがって実に幅広い。まずファシズムの前身として19世紀フランスの排外主義が取り上げられ、続いてイタリア・ファシズムの、次にナチスの権力掌握過程が解説される。その後に、独伊以外の国々におけるファシスト政権が概観される。

本著後半では、独伊のファシスト政権が、人種、ジェンダー、階級などの問題をどう捉えていたかが説明される。

このうち、僕にとってひときわ興味深かったのが、ジェンダーに関する話だ。僕はつねづね、ファシズムのダメな部分のひとつとしてマチス(男性優位主義)が挙げられると思ってきたのだが、これまでファシズムジェンダーの関係について正面から扱った本は、意外となかったのだ。

その点、本著はわざわざ一章をさいて、ファシズムと女性、あるいは同性愛者の問題について語ってくれるのである。いやぁ、これはありがたい(w

 

本著を読むと、ファシズムは女性に抑圧的であったにもかかわらず、ファシズムを支持した女性が意外といたことが分かる――そういえばヒトラーも当時のドイツ女性のあいだでモテモテだったっけ

ファシズムを支持した女性たちのなかには、驚くなかれ、なんとフェミニストまでいたという。一体どうして?

フェミニズムの多様性に気づくならば、ファシズムがそのように行動したことは驚くにはあたらない。ある傾向のフェミニストは、しばしば家族フェミニストとして知られているが、彼女たちは選挙に関心を寄せるより、女性を女性として守ることにより多くの関心を払っていた。彼女たちは、男のアルコール中毒からの女性の保護、売買春の禁止、労働の場での女性の権利改善を、要求していた。もし、そのようなフェミニストが代表制民主主義を放棄していたとするなら(重大な「もし」であるが)、彼女らは潜在的ファシストと共通しあうところがあった。いずれも、それぞれの異なる方式からではあったが、女性を平等だが異質なもの、と見なしていたからである。≫(200頁)

なんという皮肉だろう! ファシズムフェミニズムは思想的には真逆であるにもかかわらず、奇妙な点で意見の一致を見たというのだ。

いや、驚くにはあたらないのかもしれない。このように一見両極端に見えるふたつの思想的立場が意外な点で意見の一致を見ることは、政治思想の世界では存外少なくないからである。

 

本ブログでは以前、ウンベルト・エーコ『永遠のファシズム』を取り上げたことがある。本著は中盤にて、意外にもそのエーコを批判している。

本著のエーコ批判の論旨を簡単に言えば、エーコの主張には反証可能性(falsifiability)がない、ということである。

エーコは『永遠のファシズム』のなかで、ファシズムはそれと分からないような「普段着」を着て再来する、と述べている。だがそれではどんな思想でもファシズムと言えることになってしまう。それではエーコの主張を反証することができない、つまり反証可能性がない、というわけだ。

よく知られているように、科学哲学者カール・ポパーは科学の本質として反証可能性を挙げた。エーコの「永遠のファシズム」論は、少なくともポパーの定義する意味での科学ではない、ということになる。

これは、興味深いエーコ批判である。

 

本著は比較的新しい本なので(2016年刊行)、終盤では、昨今伸長著しい欧州の極右についても語られている。

彼らは、現代のファシストなのだろうか? いや、その前に「そもそもファシズムとは何か」と定義を明確にする必要があるだろう。

ところが本著にて著者が主張しているのは、ファシズムに明確な定義を与えることは不可能だということなのだ。今日の極右がファシストかどうかを明確に決めることは、したがってできないことになる。

著者は、今日の極右、たとえばフランスの国民戦線ファシストだとレッテルを貼ることは、ナンセンスであるうえにデメリットすら伴うという。

国民戦線ファシストというラベルを貼ることは、それはそれで問題であろう。それは、たしかに政党の信頼を失墜させる方法かもしれないが、しかし国民戦線の支持者たちは通常自分たちがファシストだとは思っていない以上、この運動はエリートによって侮蔑的に忘れ去られた真面目な人びとを代表しているのだ、という彼らの確信を、かえって強化してしまう危険を冒すことになるのである。≫(236頁)

富裕なリベラル派が「国民戦線なんてファシストだ!」とレッテルを貼ることによって、かえって国民戦線の支持者たちのあいだで「自分たちはエリート連中から虐げられた存在であり、国民戦線もまたそうである。ならば国民戦線こそ我々の真の代弁者だ」という意識が強まってしまう、というのだ。

これは、今日の欧米のリベラル派の盲点を突く、重要な指摘であると思う。

 

本著は、ファシズムをテーマとしているにもかかわらず、このようにアクチュアルなテーマをも扱っている、優れて現代的な書籍である。皆さんにもぜひ読んでもらいたい一冊だ。

 

ファシズムとは何か

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