Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

最近見た映画の感想(第258回)

・『赤軍PFLP 世界戦争宣言』

日本が、いや世界中が学生運動に沸きたっていた1960年代、若者のあいだで強い影響力を誇った映画監督が、若松孝二(1936‐2012)であった。

本作は、そんな若松監督と、彼の盟友であった脚本家・映画監督の足立正夫のふたりが、はるばるパレスチナ(!)まで赴いて撮影した、一種のプロパガンダ映画である。

プロパガンダ映画」とは、どういうことか。実際に本作を見てみるとよく分かるのだが、「プロレタリア」だとか「世界革命」だとか、はたまた「自らのプチブル性」だとかいった、いかにも~な左翼用語が次から次へと飛び出してくるのだ。これはスゴイ! 圧倒されるw(;^ω^)

若松、足立が密着取材するパレスチナの青年ゲリラたち。彼らの手には、赤い表紙の毛沢東語録アラビア語版が。彼らが口ずさむのはもちろん、革命歌「インターナショナル」だ。

う~む、なんとも時代を感じさせるシークエンスであるw(;^_^A さすがに今日のパレスチナでは、ここまでゴリゴリの共産主義者は、よもやいないでしょうね?(w

 

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・『美しい夏 キリシマ』

1945年8月の南九州・霧島を舞台にした戦争映画である。

……いや、「戦争映画」と呼んで、はたしてよいものかどうか。

たしかに本作には、憲兵からの暴力、訓練をする日本軍などが描かれるほか、広島・長崎への原爆投下、満洲へのソ連侵攻などのうわさが人口に膾炙する様子が描写されている。総じて、戦争が人々の生活に暗い影を落としている。

だがそれでもなお、霧島は平和なのだ。食べ物は意外と豊富だし、女性だってかならずしもモンペ姿というわけではない。結構、綺麗なワンピースを着た女性の姿も見られるのである。

戦後生まれの我々は、先の大戦の末期には、日本中が焼け野原になったものとばかり思いこんでしまう。だがそれは、地上戦の行われた沖縄や、空襲に見舞われた都市部での話だろう。農村部では、1945年8月においてもなお、人々の<日常>はなだらかに続いていたのである。

もっとも、だからといって農村がパラダイスだったかといえば、もちろんそんなことはないだろう。最も分かりやすい弊害が、身分差別である。

居間で食事ができるのは、家長である父親とその家族だけ。貧しい出自ゆえに女中として丁稚奉公させられている女性たちは、台所で食事をとらなければならない。

本作は霧島の美しい自然を描く一方、こうした前近代的な因習を描くことも、また忘れてはいなかったのだ。

 

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・『バーフバリ 伝説誕生』

インド映画といったらやっぱり、ミュージカルだ(w)。それまでのストーリーの流れを唐突に寸断して、登場人物たちが歌って踊る。こういうわけの分からないノリのインド映画が、僕は大好きなのだ(w

以前取り上げた『インド・オブ・ザ・デッド』というインドのゾンビ映画は、たしかにスタイリッシュではあったものの、インド的なミュージカル展開のない「普通のゾンビ映画」であったため、個人的にはややガッカリであった(w

その点、本作『バーフバリ』はまったく異なる。

古代インドを舞台にした、CG盛りだくさんの『ロード・オブ・ザ・リング』的な一大ファンタジーであるうえに、いかにもインド映画らしいミュージカルシーンまで盛り込まれているのだ。もちろん、アクションのほうだって見どころ満載。お世辞抜きで、インド映画の新しい可能性を感じさせる、とても秀逸な娯楽大作へと仕上がっている。

インドのとある農村にて育てられた主人公。成人した彼の前にあるとき、かつて家来だったと名乗る男が現れ、主人公はなんと、亡き英雄的王族・バーフバリの息子だと告げる。

この家来の話すなが~い物語――これが作中のほとんどの尺を占めるw――を聞き、自らの出自の謎を知った主人公は、かつて父を蹴落とし、今もなお悪政を敷く現国王に反旗を翻すことを誓うのである。

この主人公と父・バーフバリを、同じ役者さんが演じている。いかにもインド的な、濃ゆ~い顔立ちの役者さんだ(w)。インドではやっぱり、こういう顔のほうがウケるのだろうか?(w

彼の脇を固める女性たちにも注目。本作に登場する女性たちは皆、強い自我を持ち、自ら武器を取って敵と戦う。本作は、女性映画でもあるのだ。

 

 

・『バーフバリ2 王の凱旋』

さきほどの『伝説誕生』の続編にあたる作品。『バーフバリ』は全二部構成であり、本作が完結篇となる。

こちらも、作中のほとんどを過去の話が占めている。英雄的な活躍と民を想う心ゆえに一度は王位を約束されたバーフバリであったが、不運にも政争に巻き込まれ、王宮から追放されてしまう。そしてついには命まで奪われる羽目になるのだ。

ラスト30分にて、その息子たる主人公が現国王に復讐する様子が描かれる。相変わらずアクションシーンがカッコいいっ!(w) まるでアメリカ映画『300』を見ているかのようだ。

かと思えばコミカルな場面もあり、観客を飽きさせない。もちろん本作でも、ミュージカルシーンはちゃんと用意されている。

ミュージカルというのは率直に言って、衰退してしまったジャンルである。かつてはジンジャー・ロジャースフレッド・アステアという名コンビが銀幕のスターとなり、彼ら主演の映画が何本も撮られた。1950、60年代にはミュージカル大作が次々と公開された。だが今日では、すっかり衰退してしまった。もちろん、『シカゴ』『ラ・ラ・ランド』などの優れた作品もあったが、総じて、ミュージカル作品のヒットは散発的なものにとどまる。

冗談抜きで、インド映画こそ、ミュージカル復権のカギを握る、重要なアクターとは言えないだろうか。アクションとミュージカルとを融合させ、ガラパゴス的進化を遂げたインド映画には、世界の映画界の趨勢を塗り返るほどの高いポテンシャルがあると、僕はひしひしと感じるのである。

 

 

・『15時17分、パリ行き

2015年に実際に発生した、タリス銃乱射事件というテロ事件に材を取った映画である。

監督は、いまやアメリカを代表する映画監督、クリント・イーストウッドだ。

このタリス銃乱射事件について簡単に解説すると、軍隊上がりのアメリカの青年3人組が、ヨーロッパの国際列車にてイスラームのテロリストを取り押さえ、さらにはテロリストに狙撃された乗客の救護まで行うという大手柄をたてた出来事である。

この事件を映画化するにあたって、イーストウッド監督はある大胆な試みを採用した。

なんと、ご本人をご本人の役柄で主演させることにしたのである。主人公3人組はもちろんのこと、狙撃された乗客までご本人に演じさせるというのだから、その方針は徹底している。

近年のイーストウッド監督作品には、『ハドソン川の奇跡』など、実際に起こった最近の事件に材を取ったものが多く、たとえば『ハドソン川~』では当事者である機長本人をエンドロールにて登場させていた。それでも劇中では機長の役は、プロの俳優であるトム・ハンクスが演じていたのである。最初から最後まで本人を“主演”に抜擢するというのは、前代未聞であろう。

そんな大胆な手法は、本作で成功したと言っていい。たしかにちょっと「素人っぽい」印象はなきにしもあらずだが、それでもちゃんと映画としての鑑賞にたえるレベルである。

DVDに収められた特典映像を見ると、どうやら本人たちが委縮しないよう、のびのびと演技させたことが成功につながったらしいことが分かる。イーストウッドの、監督としての卓越した手腕を改めて感じさせられた。

いやぁ、それにしても、イーストウッドって、今歳いくつよ(w)。もう90近い80でしょ?(w)。それなのにいまだに一年につき約一本のペースで映画を撮ってる。

あの黒澤明ですら晩年(70~80代)は数年に一本のペースに落ちていたというのに。一体このバイタリティーはどこから湧いてくるのだろう(w)。驚異的な体力だ。

さて、本作を見ると、どうしてイーストウッドがタリス銃乱射事件に関心を持ったかが分かる。

主人公3人は、お世辞にも品があるとはいいがたく、そのせいで公権力(警察とか軍隊とか)からは常にいじめられてきた。にもかかわらず、いざというときに彼らは危険を顧みず、超人的な活躍を果たしたのである。

これぞ、イーストウッドの理想とするヒーロー像に他ならない。

 

15時17分、パリ行き(字幕版)

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