Furusawa Keisuke's blog

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書評『平安京はいらなかった』

平安京うぐぅ……。ボク、要らない子だったんだ……」

 

 

という平安京の嘆きが聞こえてきそうなのが(w)、本日ご紹介する『平安京はいらなかった 古代の夢を喰らう中世』吉川弘文館である。

著者は、歴史学者の桃崎有一郎さん。

 

それにしても、「平安京はいらなかった」というのは、なかなかにショッキングなタイトルである。

平安京平城京のように、街路が碁盤の目状にきちんと整理された古代都市の形式を、条坊制と呼ぶ。僕はこの条坊制の古代都市が大好きで(w)、中学生のころは歴史教科書や資料集に収められた平安京平城京の模型写真を眺めてはウットリとしていたものだった(w 

それがまさか、要らない子だったなんてっ!

 

著者の桃崎さんによると、平安京は当時の律令国家が自らのメンツを守るために設計した、極めて人工的かつ劇場的な都市であったのだという。

その前に、そもそも律令国家とは何か。

それは、土地、国民を徹底的に管理する、極めて中央集権的な体制のことである。

律令国家は「位階」というシステムを定め、すべての人間をランクづけした。そのランクは、すなわち天皇からの距離を意味した。位の高い人間=天皇にアクセスしやすい人間であり、位が低い、もしくはそもそも位がない人間は、天皇にアクセスすることができない。

都である平城京平安京などでは、すべての土地が整然と区画整理され、位の高い人間は、天皇の住まう内裏に近い場所に邸を構えることを赦された(=天皇にアクセスしやすかった)。

このように、万人が天皇からの距離によってランクづけされ、住む区画まで定められていたのが、律令国家であったのだ。

律令国家の管理体制は実に厳格であり、平安京などの都に住まい都市民は、その法律によってがんじがらめにされた。「都市の空気は自由とする」という中世ヨーロッパの格言は、ここでは通用しない。都市民こそ、窮屈な暮らしを強いられていたのだ。

 

律令国家に関するこれらの記述を読んで、僕は20世紀の全体主義国家・ソ連を想起した。作家の佐藤優さんが『自壊する帝国』『甦るロシア帝国』にて詳細に描いてみせたように、ソ連もまた、土地、国民を徹底的に管理する国家であり、人々は共産党へのアクセスのしやすさによってランクづけされた。

名前は失念してしまったが、律令国家というのは要するに社会主義のことなんだ、と誰かが言っていたのをふと思い出した。まったくその通りだな、と思った。

 

平安京は、律令国家の威厳を内外に見せつけるために、極めて人工的に設計された計画都市であった。

平安京のメインストリートは、朱雀大路だ。ところがこの朱雀大路、実際に庶民が通行するためにつくられたのではないという。

この道は、海外からの外交使節が通るときや天皇の即位儀式のときなど、特別な儀式の場合にのみ使用された。普段はただの空き地となっており、田畑に転用されたり盗賊のすみか(!)にすらなっていたという。

この朱雀大路が象徴的であるように、平安京律令国家のプライドのため、実用性を度外視して作られた都市であった。そのため、当の律令制が形骸化してくると、平安京もまた徐々に崩れていくこととなったのである。

平安京の右京は湿地帯であったためになかなか宅地化が進まず、次第に平安京にとっての外部とみなされるようになった。白河法皇の言葉として、「賀茂河(鴨川)の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」という有名な言葉があるが、実は京都を流れる川としては鴨川のほかにもうひとつ、西のほう、すなわち右京のそばを流れる桂川があるのである。だが法皇桂川には一切触れない、そしてそのことに気づいた人はこれまでいなかった、という桃崎さんの鋭い指摘には、思わずアッと声が出てしまった。

その一方、当初は京域とはみなされなかった、鴨川の向こう側の土地である白河が次第に宅地化され、京都の新しいエリアとして発展していくのである。

京都はかくして、律令体制のしがらみから脱し、自立した都市として成長を開始したのだ。

 

……つい、前置きもなく「京都」と書いてしまった。本著は、言うなれば「平安京」が「京都」へと変貌を遂げていくまでの物語、と要約することが可能である。

その変化は、すでに摂関期には始まっていたのだ。

かつての平安京の玄関口・羅城門は、980年に暴風雨によって倒壊してしまう。その再建が一度は企てられたものの、時の権力者・藤原道長はその再建費用を大内裏の施設の再建費用に転用してしまい、羅城門は完全に放棄されてしまった。道長はまた、古い建物から礎石を取り除き、それを新しい建物をつくるために再利用した。

つまりこのころから、平安京の壊れかかった部分が修復されるのではなく、むしろ解体・再利用されて京都の新しい部分へと生まれ変わる、といった事態が起こっていたのである。

これを桃崎さんは、意外にも「自食」(オートファジーという生物学の用語をもちいて説明している。

≪自食とは、細胞が自分の内部の不要になったタンパク質をアミノ酸に分解し、新たにタンパク質を合成する現象をいう。自分の体の一部を分解し、それを再び自分が“食べて”栄養素にしてしまう自食こそ、まさに平安京で起った現象にほかならない。中世京都への転生という現象は、“平安京の自食”と表現すると、最も適切にイメージしやすい。細胞という微視的な生命と、都市という巨視的な人間社会の構築物で、似た現象が起こることには驚かされる。≫(187頁)

あぁ、そうか、都市って生きものだったんだ、と僕は目からウロコが落ちる思いがした。

かつて、律令国家は自らのプライドを維持するためだけに、巨大な計画都市・平安京を造営した。だがそれはあくまで机の上でのみ設計された、極めて人工的な都市にすぎず、こう表現してよければ「血が通っていなかった」。

そんな平安京が、少しずつ、不要な部分を切り捨て、都市として本当に必要な部分を拡充させていくことによって、ちゃんと血の通った、ひとつの生きものとしての「京都」へと生まれ変わったのである。フリードリヒ・ハイエクならば、これこそ自生的秩序(spontaneous order)だと評したかもしれない。

 

京都は、21世紀の今日でも日本を代表する都市のひとつであり、また内外から多くの観光客を集める国際都市でもある。

「生きものとしての京都」の成長は、今もなお続いているのだ。