Furusawa Keisuke's blog

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書評『労働者階級の反乱』

イギリスのEU離脱――いわゆる「ブレグジットBrexitは、世界の人々に大きな衝撃を与えた。

僕の母でさえ、ブレグジットのあおりを受けて株価が暴落したことに憤って「まったく、イギリス人どもはなんてことをやらかしてくれたんだろうねぇ!」とおかんむりだったほどだ。

メディアは、この予想外の現象を、イギリス社会の右傾化によるものと見なし、同年秋に起こったアメリカのトランプ政権誕生とむすびつけて、警鐘を鳴らしていた。

だが、ことはそんなに単純なのだろうか……?

 

本日ご紹介する本は、『労働者階級の反乱 地べたから見た英国EU離脱』(光文社)である。

著者は、ライターのブレイディみかこさん。イギリス人の夫を持つ彼女は、長年保育士としてイギリス社会で働いてきた。そんな彼女が、かの国の労働者階級の歴史をひもといたり、自らのまわりにいる労働者階級の人々にインタビューするなどして、等身大の彼らの姿に迫った力作である。

 

本著は、三部構成。まず第一部にて、多くの人々にとって予想外だったブレグジットが本当に単なる「右傾化」の結果なのかについて考察する。

第二部では、ブレイディさんが実際に周囲の労働者階級の友人たちにインタビューを試み、いまどきの労働者階級の考え方に迫る。

第三部では、イギリスにおける労働者階級の歴史を、百年前の1910年代にまでさかのぼって解説している。

 

ブレグジットの原因は、何か。日本のメディアは、経済のグローバル化と移民の流入にともなってイギリスの労働者階級が経済的に没落ないし社会から孤立し、疎外感を強めたことがその原因だと報じた。

ブレイディさんもまた、本著においてこうした見方をおおむね支持している。

簡単にいえば、彼ら労働者階級は、マイノリティーになってしまったのである。

労働者階級は、白人である。白人であり、かつ男性でもある彼らがマイノリティーだというのは、なかなかに興味深い話だ。

これまで、「マイノリティー」と言ったら、黒人やアジア系などの移民や、ジェンダーの観点からは女性も――たとえ人口では同数であっても――マイノリティーと見なされてきた。白人男性であっても、LGBTであればマイノリティーだと見なされるが、そうではないヘテロセクシュアルな白人男性は、完全にマジョリティーだと思われていた。

ところが、そうではなかったのだ。今日では労働者階級の白人男性たちは社会から疎外されており、彼らもいつのまにやら新しいマイノリティーになっていたのである。

ところが移民やLGBTとは違い、彼らには自らの声を代弁してくれる組織・政党がない。それまではけ口がなかった彼らの社会への怒りの声が、今回ブレグジットというかたちで爆発した、というわけなのだ。

 

これが、ブレグジット原因のひとつ。だが、それだけではない。ブレイディさんはさらに、緊縮財政というもうひとつの原因を見出す。

……そう、この点に注目するところが、彼女と、経済(学)に無関心な他の多くの“日本型リベラル”とを分かつ分岐点なのだ。

ブレグジット以前、保守党のキャメロン政権は極度の緊縮財政を国民に強いてきた。

緊縮財政で最も苦しむのは、社会の底辺、すなわち労働者階級である。なにせ緊縮財政下では、福祉などの予算が容赦なくカットされてしまうのだから、その影響たるや尋常なものではない。

こうして、社会から疎外されつつあった労働者階級がさらに緊縮財政によって苦しめられたことにより、彼らはブレグジットというかたちでキャメロン政権の緊縮財政に「NO!」を突きつけた、というわけなのだ。

ブレイディさんは、以下のように述べている。

 ≪インフラや公共サービスを充実させている時代であれば、多少移民の数が増えたところで、人々は排他的になる必要もなく、みんなで分け合いましょうという心の余裕も出てくるのだ。

 移民・難民の時代と、戦後最大級の削減政治の時代は、致命的なほどミスマッチだった。「そういうことはない、どんなときでも一人一人が心を入れ替えて他者に優しくなれば、乗り越えていける」という精神論は美しいが、その美しさをすべての人々が生きる目的にしたいと思っていけるかどうかは別の問題だ。ましてや他者に優しくなれない人々を非難し、叱りつけるだけでは、事態は好転しない。≫(47‐48頁)

彼女の言うとおりだろう。

日本のサヨクのダメなところは、「寛容な社会を作りましょう!」とアナウンスするだけで、具体的な経済政策には無知ないし無関心だということだ。

彼らはあくまで「寛容な社会を作りましょう!」と大衆に啓蒙しつづけることで、それが実現するものとばかり思いこんでいる。

……そうではないだろう。寛容な社会をつくるにあたって、大事なのは経済政策だ。実際に政府が有効な金融・財政政策をうち、人々の雇用が安定化してはじめて、人々の心に余裕が生じ、寛容な社会が生まれるのである。

近頃の日本のサヨクは、「これからはモノの豊かさより心の豊かさ」と口癖のように連呼する。

違うのではないか。むしろ我々が今、思い出すべき格言は「衣食足りて礼節を知る」だろう。

我々人間が礼節を知る(=寛容な社会をつくる)ためには、まず衣食が足りる(=経済が回る)必要がある。

極端な話、経済政策さえきちんとやっていれば、人々は“おのずと”、つまり啓蒙なんかなくたって、ファシズム共産主義のような危険な全体主義思想からは離れるのではないか? 本著からはそのような示唆を受けるのである。

 

本著に登場する労働者階級の人々は、まるで日本でいうところの「江戸っ子」のようだ。

学はなくとも人情味があり、潔い。ブレグジットのような国論を二分する大問題があっても、「もう決まった以上はしょうがねぇ、さっさと離脱しやがれってんだ!」と啖呵を切れる潔さが、この人たちにはある。

僕は本著を読んでいて、いつのまにかすっかり、彼らに魅了されてしまったのである。