Furusawa Keisuke's blog

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書評『科学予測は8割はずれる』

「僕も将来、若手論客になりたいです!」などと困った夢を抱いてしまっている(w)物書き志望の若い人たちに対しては、僕は「科学史と科学哲学を勉強しろ!」と助言することにしている。

どうしてか。これら二分野は、「文系の人間も理系の人間もどちらもやりたがらない」分野だからだ。これら二分野をしっかりと勉強しておけば、予備校風に言うなら「ライバルたちに差をつける」ことができるのである(w

僕は学生時代、就職のためやむをえず理系の学科に在籍していたが、理系の勉強がイヤでイヤでしょうがなかった。だが例外的に科学史と科学哲学だけは好きで、大学の図書館でよくこれらに関する本を読んでいた。

その経験は、今日の僕にとって少なからずアドバンテージになっていると感じる。

 

本日ご紹介する『科学予測は8割はずれる』(東京書籍)もまた、科学史に関する本だ。

著者は、サイエンスライター竹内薫さん。例のSTAP細胞騒動のときによくメディア出演していたので、顔を見れば「あぁ、この人かぁ」とピンとくる人も多いはずだ。

竹内さんの文章は、とても読みやすく、分かりやすい。そして、どう説明したらいいのか迷うが、どこか“詩情”すら感じさせるのだ。そうした独特の文体が、彼の一番の持ち味と言えよう。

 

本著は、科学ないし科学者の歴史を振り返っていく。

本著を読むと、科学(者)の歴史の実態は、我々の抱く常識とはずいぶんとかけ離れているんだな、ということがよく分かり、驚かされる。

たとえばガリレオ。我々は彼を「宗教の権威に屈しなかった孤高の科学者」というふうに捉えてしまいがちだが、実際のところ彼は結構性格の悪い人で(!)、権力者にはすぐ媚びを売るくせに、自分に敵対する人や真似をする人のことはなんとかして蹴落とそうとしていたという。案外、「ワルい人」だったのだw(;^ω^)

あの有名なガリレオ裁判も、「科学vs宗教」という図式で理解するのは実は間違いで、本著によると、かの裁判はキリスト教会内部での権力闘争としての性格が濃厚であったのだという。

へぇ~、勉強になるなぁ。

 

そもそも、ガリレオニュートンあたりの時代の科学者には、「自分は科学者である」という認識すらなかった。彼らは、哲学者のつもりでいたのだ。

当時、科学は「自然哲学」と呼ばれる哲学の一ジャンルという扱いであった。

これは、結構重要な点である。

本著にて竹内さんが指摘する日本の科学界の問題点――それは、「科学の根幹に哲学がないこと」だからである。

欧米では、哲学から枝分かれするかたちで、科学が誕生した。ところが日本人は、その「上澄み」である科学の部分だけを直輸入してしまった。すぐ役に立つ部分しか見ようとしなかった。それが問題だと竹内さんは言うのだ。

本著を読んで、僕は作家の佐藤優さんを思い出した。佐藤さんは、欧州の総合大学には必ず神学部があり、中心に虚学(神学)があることこそが重要なのだ、と書いていた。一見役に立たなそうな虚学が中心にあるからこそ、実学も成り立つことができるのだと。

虚学を、教養と置き換えてもいいかもしれない。欧米人は、決して教養をおろそかにはしない。だが日本人は、たとえば理系の学生は、科学の部分しか見ようとしないのだ。

彼らは、すぐに役に立つ部分しか見ようとしない。そしてそれが、現下の日本の科学行政の抱える問題点でもあるのだ。

 

本著巻末にて、三人の人物による鼎談が掲載されている。竹内さんと、彼の東大時代の同級生である、加藤茂生さん、廣野喜幸さんの三人による鼎談である。

この鼎談のなかで、ようやく本著のタイトルにもなっている「科学予測は8割はずれる」という話が登場する。

廣野さんによると、科学技術の実現予測のうち、当たるのはわずか2割ほど。それもほとんどIT関係に集中しているのだという。それ以外の8割は、はずれだ。だが8割も失敗するのだからというので予算を削減しては、絶対にいけない。竹内さんは、以下のように書いている。

≪「科学技術の将来予想の8割は、はずれる」という統計があるのだそうです。だから、財務省が科学技術予算を査定するとき、いくらがんばっても、その2割しか(将来的に)世の中の役には立たないことになります。

 しかし、日本のようにエネルギー資源に恵まれず、科学技術の創意工夫と、その下部構造の上に鎮座する経済力だけで生き延びている国において、土台の部分である科学技術への予算を大きく削るようなことがあれば、国の未来がないことだけは明らかです。≫(205頁)

そう。これこそ、現下の日本の科学行政の、一番の問題点なのだ。上述の「すぐ役に立つ部分だけを学ぶ」という日本人の悪弊が、今日では「すぐ役に立つ分野にしか投資しない」というかたちで反復されてしまっているのである。

このような日本の科学行政の、いわゆる「選択と集中」路線は、今日、ノーベル賞受賞者はじめ多くの関係者らから、ほとんど「集中砲火」と言っていいほどの強い批判を浴びている。

僕も“保守主義者として”、「選択と集中」路線には断固反対の立場である。「選択と集中」は、ものすごく頭が良くて将来をきちんと見通せる科学行政官僚の存在を前提としている。だがそんなものはしょせん、社会主義の発想、もっといえば「ファンタジー」にほかならない。現実には科学技術の将来を見通すことができない以上、我々は分野に関係なくジャブジャブ投資するよりほかないのだ。

 

科学予測は8割はずれる 科学予測は8割はずれる

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