Furusawa Keisuke's blog

政治から映画、アニメ、将棋まで幅広く語ります。

書評『知中論』

最近、僕が注目している中国ウォッチャーのひとりが、ノンフィクション作家の安田峰俊さんだ。

本日ご紹介する本は、そんな安田さんの『知中論 理不尽な国の7つの論理』星海社である。

 

かつて大学時代に東洋史を専攻、修士号まで取得したという安田さんは、本著のなかで「かつての歴史に学ぶことで、今日の中国を読み解く」というスタンスを貫いている。

たとえば、2010年に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件

安田さんによると、この漁船の船長は中国福建省の人物であり、福建といえばかつて倭寇の拠点であった地域である。そのせいか、荒くれ者の多い地域なのだという。おまけに彼らは、伝統的に尖閣諸島の周辺海域を漁場としていたため、同海域を「俺たちの海」と認識する傾向が強く、それが漁船衝突事件の原因のひとつとなった――安田さんはそう指摘するのである。

 

あるいは、00年代から断続的に発生している、反日デモ

安田さんによれば、もともと中国民衆には「暴れるのが大好き♡」という性質があるのだという。このことは、彼らが伝統的に好むキャラクターが、やはり同様に豪快で暴力を好む『西遊記』の孫悟空や『三国志演義』の張飛であることからも裏付けられる、と安田さん。

暴力が大好きな彼らは、中国政府からひとたび「……ハイ、ここ反日デモではいくらでも暴れ放題ですからね~」とお墨付きをもらえれば、たちまち「わ~い♪ 俺たちのやりたい放題だ~(ww」と暴れまわってしまう、というのだ。

当然、そのような“デモ”にイデオロギー色は希薄である。たとえ普段はアニメなどの日本文化が大好きな若者であったとしても、ひとたびこうした環境を与えられれば、「わーい♪」と喜び勇んでたちまち暴動を起こしてしまうおそれが、十分に考えられるというのだ。

安田さんは、したがって反日デモは今後も続くという、我々日本人にとっては極めて悲観的な見解を明らかにしている。

 

今日の中国の指導者である習近平が、意図的に「前近代における名君」として自らを演出している、という話もたいへん興味深かった。

我が国ではもはやほとんど「蛇蝎の如く」と形容していいほど嫌われきっている習近平であるが、かの国では意外にも、民衆から比較的好感を持たれているのだという。

それは彼が、「民衆と気さくに接し、腐敗した官僚を断固許さない」という、古来より中国社会にて理想視されてきた“君子”のイメージを、メディア上にてかなり意図的に演出しているのが功を奏した結果である、と安田さんは分析している。

要するに、日本で言うところの「水戸黄門」みたいな感じのキャラなのである、現在の習近平(w)。つねに庶民の側に寄り添い、悪代官を討つ、みたいな。

こうした自己演出は、しかしながら同時に問題にもなりうる、と安田さんは言う。

習近平は、上述の意味であまりにも保守的であり、グローバル時代である今日の中国の指導者としてはふさわしくないのではないか、と彼は見ているのだ。

僕も同感である。習近平の言動を注視してみると、「……ぶっちゃけこの人、ただの経済オンチなんじゃないか?」との疑念に幾度となくとらわれてしまう。もっとも、それは我が日本の政治家とて同じことなのであるが。

最近とみに思うことだが、東洋世界において伝統的に理想視されてきた指導者のイメージは、現下の資本主義体制のもとではかえって「経済オンチ」の一言で片づけられてしまう類のものにすぎないのではないか。

たとえば、質素倹約を美徳とする古来よりの発想は、今日においては緊縮財政を帰結し、かえって民の暮らしを悪化させてしまうのではないか……というふうに考えられるのである。

日中両国とも、そうした罠にストンと嵌まってしまっているのではないだろうか。

 

本著では、チベットウイグルなど、少数民族に関する話もとても興味深かった。

彼ら少数民族の住まう地域は、清の時代になって中華帝国編入された。では、これをもって「チベットウイグルは中国の一部となった」と言えるのだろうか?

……実はそうではないのである。

安田さんは、清を現代の企業にたとえている。このたとえによると、≪当時の㈱チャイナ産業と、㈱モンゴル草原商事・㈱チベット仏教物産・㈱新疆テュルク・イスラム興業といった藩部との関係は、共通の持ち株会社・大清帝国HDのもとでの子会社同士という位置付けです。≫(176頁)

……わ、分かりやすい!(w

僕がこれまでに読んだ中国関連の本のなかで、最も分かりやすいたとえであるw(;^ω^)

このたとえによれば、近代以前までは大清帝国HDのもと、みな対等であったが、近代に入ってその大清帝国HDが解散してしまった後、最大手である㈱チャイナ産業が勝手に他のグループ企業を吸収合併してしまった、ということになる。

う~む、この分かりやすすぎるたとえ。安田さん、やはりただ者ではない……w(^▽^;)

 

本著は、先日取り上げた上念司さんの『習近平が隠す本当は世界3位の中国経済』とは対照的であるといえる。

どこが対照的なのか。上念さんは中国に冷たいけれども安田さんのほうは中国に優しいということか?

そうではない。安田さんだって、実のところ中国には結構厳しく、本著のなかでかの国をチクチクと皮肉っている。

対照的だというのは、上念さんのアプローチが(社会)科学的なのに対し、安田さんのそれは完全に人文学的だということである。

上念さんは経済学を学んだ人であり、経済学は社会科学のなかでは例外的に、数学を多用する学問である。

習近平が隠す~』のなかでも、上念さんは「このふたつは相関係数が〇〇なので強い相関があると言えます」「これらは相関係数が〇〇以下なので相関関係はないと判断されます」……といったぐあいに議論を進めている。それはとても科学的なアプローチであり、あるいは“理系的”とさえ言えるものだ。

一方、安田さんのほうは「古代の中国では〇〇だったから、今日の中国でも同様に〇〇であると考えられる」……というぐあいに議論を進めていく。数学が出てくることはない。

こういうアプローチのしかたが、人文学的であると僕には思えるのだ。数式アレルギーのある人は、したがって安田さんのアプローチのほうが性に合っているかもしれない(w

こうした意味で、ふたりのアプローチは対照的である。だが、どちらか一方が間違っている、というのではない。むしろ、これらは相補的な関係にある、と言うべきだろう。

皆さんにはどうか、『習近平が隠す~』と本著、両方とも手に取って、読み比べてみていただきたい。

 

本著は、「中国のことはあまりよく分からないよ」という初学者の人たちのために、とても分かりやすく、かつ親しみやすくつくられている。

重要な箇所は太字で印刷されているし、各章のはじめにはご丁寧に漫画パート(!)まで設けられているというサービスぶりだ(w

この漫画パートを担当しているのは、孫向文さんという中国出身の漫画家さんである。彼は若いころから漫画などの日本文化に親しみ、日本に移住してきたのだという。

一方、難点としては、レイアウトが一種独特であることが挙げられる。

たとえば写真がページの左端などにはみ出た状態で掲載されており、場合によってはひとつの写真が分断され、ページをまたいで掲載されていることすらある。さらに各節の冒頭には、その節のタイトルの中国語訳が薄いフォントで大きめに印刷されており、それが邪魔で本文が読みづらいのである。

こうした不可解な装飾は、安田さん、あるいは孫さんによる本著の価値を不当に貶めるものであると僕は考える。版元の星海社さんには、この点、ぜひ改めていただきたいと、一読者として要望するものである。